2015年08月30日のツイート

私が購読している「新聞うずみ火」の7月号に
安保法制の危険性をズバリ指摘した記事があったので転載する。

ガイドラインと安保法制
 解釈改憲のクーデター


 集団的自衛権を使えるようにするための安全保障関連法案は「合憲」か「違憲」か、国会で論戦が続いている。何が問題で、何が嘘なのか。法案が成立すると、この国はどうなるのか。新進の憲法学者関西大学の高作正博教授を6月の「うずみ火講座」に迎え、わかりやすく語っていただいた。その紙上録音をお届けする。 (まとめ・矢野 宏)


今回の法案審議の内容を見ていると、まさに解釈改憲による「クーデター」です。
 憲法の内容を変えるためには改正手続きが必要です。本来、その手続きを踏まえなければならないのに、解釈によって勝手に内容を変えてしまうというやり方が「解釈改憲」というものです。
 クーデターとは、他の機関が持っている権限を勝手に奪い取るもの。例えば、議会が大統領の解任権もないのに解任したり、逆に大統領が議会の解散権もないのに辞めさせたりするやり方です。本来、主権者である私たち国民が決めるべき憲法の変更に関する決定権を、勝手に政治家が奪い取っているという状況ですので、今の日本の状況はクーデターの途上にあるのではないかと思います。
 4月27日にガイドラインが改定されました。日米の防衛協力に関する指針を決めているもので、その改定が法案審議に先立って行われてしまったのです。
 ガイドラインの中身は、審議されている内容が先取りされているもので、気になる点は二つ。一つは「平時から利用可能な同盟調整メカニズム」の設置。事が起こってからではなく、今の時点から同盟調整メカニズムは機能するのだという考え方です。
 日常の訓練とか計画の作成とか、基地の使用にいたるまで、日米調整メカニズムを通じて同盟強化をうたっています。つまり、自衛隊と米軍との一体化です。
 二つ目は、その一環として「日本以外の国に対する武力攻撃への対処行動」。集団的自衛権の行使をにらんだ計画策定から日常の訓練にいたるまで、場合によっては日本から米軍と自衛隊が一体となって海外へ展開することがすでに日米間で合意がされているのです。

米軍と「どこまでも」

 ガイドラインの改定を受け、11の法律の制定や改正の提案がなされています。その中で、「国際平和支援法」が新法の制定です。期限付きで派遣する特措法ではなく、恒久法化が念願だったのです。
 国際平和支援法が通ってしまうと、法律の制定は終わりで、あとは国会で具体的な計画が持ち上がった時に国会審議になっていくだけです。
 残る10本は既存の法律の改正です。従来からある法律の改正案が一括して提案されています。
 周辺事態法が「重要影響事態法」という法律に改正されようとしています。周辺事態というのは日本の周辺ですから、地理的には限界があります。その限定をとっぱらってしまいたいのです。米軍の行くところが重要事態と認定されてしまえば、自衛隊はどこまでもついて行って燃料とか医薬品とか食料とかをせっせと運ぶ。そういう役割を担うことになるわけです。
 「船舶検査活動法」という法律があります。いわゆる「臨検」と言われている活動です。例えば、米軍の敵国になるような国に物資が海上で運ばれようとしているとき、船を止めて積荷を検査し、どこに持っていくのかを調査して、場合によってはそこで止めるという作業です。従来の「船舶検査活動法」は周辺事態のみということになっていましたが、それこそ地球の裏側まで米軍とくっついて行くことになります。

狙われる後方支援

さて、昨年7月1日の閣議決定による解釈改憲の問題で、いったい何が変わっていこうとしているのか。
 まず、一体化論という問題です。これまでの政府見解はドンパチやっている外国の軍隊と自衛隊が密接に関わってしまえば、仮に自衛隊武力行使していなくても自衛隊の活動は憲法違反になるという考え方です。何を目安に一体化したか、しなかったかというと、活動内容です。外国の軍隊に武器弾薬を運んでいたら一体化したと見なされ、司令官と密接に連絡を取って指揮・命令系統の中に入って組織的に一体化したということになります。
 さらに、地理的関係も重要です。前線なのか後方なのかという区別、あるいは戦闘地域か非戦闘地域かという区別。この区別があるために、ぎりぎり自衛隊が行う活動は外国の軍隊と一体化しないから合憲であるというのが従来の政府見解でした。
 今回の法案では、「現に」戦闘行為が行われている現場ではないところまで行くという考え方を取り、従来の前線・後方という区別とか、戦闘地域・非戦闘地域という区別を撤廃してしまったのです。一体化論の考え方自体は残っていますが、線引きをやめてしまおうという考えを取りました。そのために、銃弾が飛んでいなければどこまでも行くという考え方になったのです。
 当然ながら外国の軍隊がドンパチやっている真っ只中に自衛隊は行きますから、戦闘行動に巻き込まれることになります。法案の内容では、そうなったら支援活動をやめて撤収するということになっていますが、そこにいたるまでに外国の軍隊と連絡調整をして「自衛隊はここをやってくれ」と言われて行っているわけです。そこまで連絡調整した上で行っているにもかかわらず、「じゃあ、俺たちは帰る」と帰ってしまったら、むしろ国際的な信用を失います。 また、後方支援といっても、相手を叩く時には兵糧攻めをするのが一番効果的なのです。ですから、せっせと運んでいるところを攻撃した方が効果的です。後方支援をやっている自衛隊が最も狙われやすい性格を持つわけです。そういったことを、しかも前線まで行くとなると、必然的にリスクが高まるわけです。

武器使用の拡大

 二つ目は、武力の行使と武器使用という概念をどのように分けるのか。 
 自衛隊は、武力の行使は憲法で認められていませんが、武器使用はできます。武器の使用に留まるのだから武力の行使にはあたらない、だから憲法違反ではない――という考え方を取ってきたのです。
 何を持って武力行使というのか。従来の政府見解によりますと、〈「国家または国家に準ずる組織」に対する「組織的・計画的な戦闘行為」は武力行使になる〉というのが定義です。つまり、相手が国家、または国家に準ずる組織で、こちらも国家として活動しているということであれば、これは武力行使に当たるという考え方なのです。
 この問題では「自己保存型」「武器等防護」「任務遂行型」「駆けつけ警護」のやり方の四つが従来から議論されていました。このうち、基本的に自衛隊ができるとされていたのは「自己保存型」と「武器等防護」の二つでした。
 「自己保存型」とは、自衛隊員の個々人が自分の身体を守るため、あるいは自分のそばにいる民間人を守るために行う自然権的な権利であるという考え方です。「武器等防護」は、自衛隊自衛隊の持っている武器を守るために武器を使うという考え方で、ぎりぎり合憲だと言われたのは、結局、武器を奪われると自分の身が危ない。だからこれは「自己保存型の延長」として理解できるという考え方です。
 「任務遂行型」については、例外的に二つだけ認められていました。「治安出動」と「海賊対処法」です。治安出動は群集を鎮圧するために武器を使うことができるということ。海賊対処法でも武器を持っている海賊を鎮圧するために武器を使っていいというものです。これらが認められてきたのは、相手が国家ではないからです。
 武器使用の権限拡大が今回の法案のもう一つの柱になっています。
 武器使用の権限拡大に関してどんな問題が考えられるのか。
 「武器等防護」に関係して、米軍の武器を守れるようにするのが法案の柱になっています。従来は自衛隊の武器を守るためと限定してきましたが、「米軍と自衛隊の武器をグレーゾーンから守る」とはっきり言っていますから、そこで何かあったら、戦闘行動に移るという流れになるわけです。自衛隊の施設が攻撃を受けたら自衛隊は個別的自衛権で対応する。米軍の武器が狙われたら集団的自衛権で対応するということになりますので、グレーゾーンから個別的自衛権、グレーゾーンから集団的自衛権、さらには個別的自衛権から集団的自衛権と、政府のいう切れ目ない行動が可能になっていくと思います。
 さらに、「駆けつけ警護」の武器使用を認めること、「任務遂行型」を幅広く解禁するという考え方に大きく変わっていこうとしています。
 「駆けつけ警護」は、外国の軍隊がすでに戦闘に巻き込まれていて、たまたま近くに自衛隊がいる。自衛隊が攻撃を受ければ個別的自衛権で対応できるのですが、攻撃を受けていないからできない。戦闘に巻き込まれに行って、「よし反撃するぞ」と攻撃するのが駆けつけ警護です。従来から認められておりませんでした。戦闘に自分から巻き込まれに行くのですから、自衛隊は当事者になります。
 「民間人を保護することもやる」と言っていますが、民間人をどこまで救うのかとなると、判断が必要となります。例えば、自国民だけなのか、そうじゃないのかという問題。現地の国民が襲撃されたらどうするのかという問題。武装勢力が国民に紛れ込んで入ってくる可能性についてどう考えているのかという問題。様々な問題がある中で、国会審議はほとんど行われていない状況です。
 「他国の部隊が救援を求めてきたら当然行くべきだ」という意見も聞こえてきますが、外国の軍隊のあり方を見ると、当然ではないのです。外国の軍隊が出て行く時には厳密に武器使用のルールを決めています。ルールから逸脱して、現場の判断で武器を使うことは許されていません。他国の軍隊が助けを求めてきても、最初に盛り込んでいなければむしろ行かないのが軍事の常識です。自衛隊も行くべきではないのですが、感情論で突っ走る今の法案の審議には大きな問題があると思います。

なぜ、必要なの?

 問題点として、何を議論すべきなのか。
 まず、そもそもなぜ必要なのか。説得力ある説明がなされたかという疑問が最初に浮かんできます。本当に必要なのですかという問題です。
 よく例に挙げられるホルムズ海峡。自衛隊がわざわざ出かけて機雷掃海することが本当に必要なのかということに対して、字面をなでるだけの説明に終始しています。具体的にどうなったら、そこまで明白な危険があると言えるのか、ほとんど説明していないのが今日までの議論の流れではないかと思います。
 また、従来から尖閣の問題を解決するためには集団的自衛権が必要だ言っていました。ところが、「尖閣は日本の領土です」と言っているのですから、集団的自衛権はいりません。尖閣問題を集団的自衛権の場面で持ち出すのは理論的には破綻しています。   「アメリカは守ってくれないかもしれない。だから自衛隊が一歩踏み込むのだ」と言う政治家もいます。集団的自衛権の問題に自衛隊が一歩踏み込むことで、日本の防衛にアメリカをもっと積極的に関与させようという考え方です。 これは卑屈な考え方でして、日米安保ではアメリカが日本を防衛する見返りに、広大な土地を提供し、莫大な援助も行っています。それに加えて命も出すのかという問題になりますと、日本の方が過重負担になります。そうでなければ守ってくれないのではないかというのなら、アメリカに不満をぶつければいいだけの話であって、その負担を国民に対して負わせるのは筋違いではないかと思います。

意図的な曲解

 政府が合憲とする根拠に、「砂川判決」があります。東京都にあった米軍の立川飛行場の拡張工事が持ち上がった時に、付近の住民や学生、労働者らが基地の周辺に集まり「砂川闘争」と呼ばれる反基地闘争を繰り広げました。その一環として、勢いあまった方が基地の中に入り込んでしまい逮捕された。
 日米安全保障条約の下で、地位協定というものがあり、その下に「刑事特別法」という法律がありまして、その中に基地の中に許可なく入ると刑事罰になるという規定があるのです。砂川事件は、勝手に入った人に対する刑事裁判が発端になりまして、憲法論争に発展しました。
 砂川裁判の判決から明らかなのは、「日本の防衛のために他国に駐留させることが9条に違反しないか」という問題です。この事案の特質から浮かび上がるのは、最初から最後まで個別的自衛権の問題です。つまり、日本の防衛のために外国の軍隊を駐留させることが問題になりましたから、日本をどうやって守るかという問題になります。従って、議論の土俵は個別的自衛権しか争点になっていません。
 ところが、この砂川事件の判決の一節を取り上げ、安保法制懇の中でこういった指摘がなされておりました。
 この砂川判決が「我が国が持つ固有の自衛権」という言葉を使っており、自衛権の言葉自体は容認しているわけです。その上で、自衛権の中身について、集団的自衛権と個別的自衛権を区別して論じてはいない。そのことを指して、集団的自衛権の行使を禁止していないというふうに捉えて、「だから砂川判決では、集団的自衛権は認めていたのだ」という理屈として引っ張ってきました。これは意図的な曲解です。
 砂川事件の判決は個別的自衛権の問題が争点になった事案ですから、集団的自衛権についてはいっさい触れていません。

法治の放棄

 さらに、政府がもう一つ合憲の根拠として上げているのは1972年の政府見解です。その年の10月14日に参議院決算委員会に提出されました政府見解です。
 「我が国が自らの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないのは明らかであって、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」という部分は、今回の政府見解をまとめる際にかなり参考にされたようです。言い回しが似ています。
 「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」の内容に集団的自衛権は入っていると解釈して、だから従来から集団的自衛権は排除していなかったのだというのが、もう一つの根拠になっているわけです。ですが、このあとで、「集団的自衛権は許されない」と書いてあります。一節だけを取り出して、都合よく曲解したというのが問題になろうかと思います。
 ですから、根拠はないということになります。
 必要だからという理屈だけで突っ走っているのが今の法案の内容です。ですが、必要だからといって何でもやってしまったら、法治国家ではなくなってしまいます。そんなことを認めるわけにはいかないという話になるわけです。もはや問題は9条だけの問題にとどまりません。日本が法治国家としてあり続けるのか、あるいは人の支配になるのかという局面を迎えているのではないでしょうか。
 心配なのは今の日本の状況です。従来の専守防衛とか、非核三原則など、これまで作り上げてきた国家の構造が根底から揺らいでいる。そういう状況です。集団的自衛権の容認は、まさしく専守防衛政策からの転換です。
 切れ目のない法制を整備することによって、憲法と政治の「裂け目」が拡大することで、これは修復しがたい状況になるのではないかと思います。憲法に基づく政治がもはやなくなっていく、そういった分かれ道に立っているのではないかと思います。

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