#京アニ事件 青葉の「孤独」と「動機」とは( #読売新聞 #東京新聞 #京アニ )



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「公判では、被告の生い立ちが明かされた。

  9歳で両親が離婚し、

  父親から身体的・心理的虐待を受け、

  困窮した家庭で育った。

  成人してからも職場の上司とトラブルを起こすなどして、

  派遣の仕事を転々とした後、

  30歳頃から無職だった。」

きのうの読売新聞朝刊社会面、

「被告 傍聴席見ず」の見出しのそばの

記事の一部を抜粋した。

前日のブログで私は青葉真司が

京都アニメーションスタジオ(京アニ)に

放火殺人を仕掛けたのは

小説のパクリよりも

孤独感と誰にも認められないことからの

現実逃避ではないかと勝手に考えていたが

やはり青葉は幼少時の家庭環境の劣悪さがきっかけになって

一生自分のことを理解してくれるはずの存在から避け続けたこと。

そして2008年に秋葉原で無差別殺傷事件を起こした

加藤智大死刑囚について

「底辺の人間ほど余裕がない。

 自分も何もやってもうまくいかず、 

 人ごとと思えなかった。」と公判で話していたと。

「青葉被告は、犯行3日前に埼玉から京都に入り、

 京アニ第1スタジオ周辺の下見を繰り返した。

 ガソリンやライターなどを買い、犯行に向けた準備を進めた。

 京アニのスタッフが最も多くいるであろう午前10時過ぎに

 第1スタジオ前に到着すると、一度、玄関のドアが開くかを確認した。

 しかし、すぐに犯行には及ばなかった。

 第1スタジオ前の路地で10数分間、青葉被告は考え込んだという。」

検察側はこの「ためらい」の行為で

事件に対する計画性があり、妄想はない。

完全責任能力を有すると有罪立証の大きな柱として

それを裁判所が支持したことになっている。

しかし、そのためらいから犯罪へ向かうために

何らかの歯止めが掛けられなかったということも

重要視しなければならない。

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きのうの東京新聞の社説では

「『妄想』はあったが犯行は思いとどまれたはず-。

 それが裁判員らの下した判断だった。」として

「完全刑事責任能力を認めた判断だが、

 被告が最後まで、犯した罪を心底悔いる境地に

 至っていないように見えたことこそ遺族らの無念だろう」と。

しかし、青葉は孤独だった。

その孤独を受け止めようとする人物は

家族を含めて誰一人いなかったのだ。

それは秋葉原の一件だけではなく

大阪北新地の精神神経科クリニックの放火殺人、

そして京王線小田急線で起きた凶行と同じではないか。

前述の読売の記事では

昨年から孤独・孤立を感じている人を支援する対策推進法を

国が制定した上で、この問題に取り組む

民間団体の支援を拡充している趣旨を書いているが

その支援が行き届かない人々をどうするつもりなのか。

自己責任で済む問題ではない。

孤独や孤立が犯罪へと至る構造を

国はちゃんと解明すべきである。

そうしなければ凶行はさらに深化してしまうと思う。

ご遺族たちの悲しみと苦しみに応えられない気持ちに

いまこそ答えるべきだ。

もちろん、岸田政権のことである。

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