この記事を読んだ時
「ひで~な~!」と。
19日の東京新聞夕刊社会面。
記事を書いた記者が
小倉志郎さん(81歳)が
体からつるして東海道線の上り電車のドア付近に立っていたのを
昨年11月16日の昼過ぎに見たそうだ。
記者とわかると新橋に下車した後に
「どう思いますか」と聞いて来たこと。それは、
①横浜駅のホームに立っていたら
30台と見られる駅員から
プラカードを外すように求められた。
②9月28日に横浜市営バスに乗ったら
40台とみられる運転手から
車の中では外してほしいと言われた。
これに対して小倉さんは
②では運転手に
「誰かの指示ですか」と聞くと
「私の判断です」と。
結局運行を遅らせてはいけないと思い
プラカードを外した。
しかし①では駅員に
「駅構内にそんなルールを掲示しているのか」と聞くと、
「掲示はしていないが、駅という場所でやるべきではない」
などと話した。
しかしそのまま電車に乗り、川崎から乗った記者が
これに遭遇したということだ。
2016年の参院選で改憲勢力が3分の2を超えたことに危機感を覚え、
外出時に着衣サイズのプラカードをつるす1人デモを始めた小倉さんは
「駅構内や建物、車両内では無言です。
標語のプラカードをつるすのも表現活動の一つなのに、
表現の自由が社会の中で萎縮、自己規制していないといいのですが。」
私もその通りだと思う。
しかしバスや電車を動かす現場側としては
このプラカードで厄介なことが起きて
運行面で支障をきたすからと
「忖度」どころか「排除」を決め込んだというわけだ。
(鉄道・バス側の言い分については下のHPに詳しく。)
しかし小倉さんは
マスクをしないで飛行機(ピーチ航空)に乗って
大騒ぎをして運行を乱れさせたあの中年男とは違うのだ。
騒乱罪を起こす目的ではなく
世間一般に対して「息苦しくなる社会」これでいいのかと
無言で訴えているだけなのだ。
私はよくわかる。
何年か前に
東海第二原発の再稼働反対集会で買ったTシャツを着て
電車に乗ったことがあるからだ。
もっとも場所は大阪だったので
誰からも注意どころかジロジロ見られることもなかった。
プラカードの大きさで乗れない話ではない。
書いてあることもヘイトスピーチのような
明らかに周囲に不快感を与えるものでもないのだ。
ましてや今では胸やヒップのデカさと強調した
女性のキャラクターを
「表現の自由と言う約束(または戦士)」が
公共空間であちこちに貼りまくろうとしている。
こんな私利私欲丸出しのに比べれば
小倉さんのやっていることは、
個人的な意見を表明する「パブリシティ」というものであり、
憲法第21条にかなう極めて正当な行為なのだ。
「外しなさい」と強制される理由はないのである。
これからも小倉さんには萎縮しないでほしいし
自分にも出来ることはないかなと
いま思案に暮れている。