きのう8日は真珠湾攻撃から
81年となる太平洋戦争(大東亜戦争)の
開戦の日だが、それにちなんでか
4日深夜にTBSテレビで
「War Bridge 91歳の戦争花嫁」
が放送された。
この番組を制作したディレクターの叔母が
戦後まもない1951年に
アメリカ軍人と結婚して
海を渡って夫の母国で生き続ける
記録とその思いを知るドキュメンタリーだった。
桂子・ハーンさんは
1930年に横浜で生まれ
カトリック系の女学校で
他者を分け隔てることなく愛する
教育を受けたことから
自らは横浜大空襲で九死に一生を得ることが
あっても、憎むようになったのは戦争であって
ディレクターの川嶋龍太郎氏が
桂子に聞きたかったことは
それですべてが終わった。
愛した人がアメリカ人。ただそれだけの
ことだったのだ。
日本を負かしたアメリカへの憎しみは
そこになかったのだ。
しかし桂子と夫のフランク氏の
夫婦の周りには何度も
差別が襲いかかる。
純真な結婚をしたのに
桂子は娼婦呼ばわりをされて
アメリカへ渡って子供を産んだときには
父親の顔煮似ていないと言われ
アパートも貸して貰えなかったこともあった。
しかし2人はアンティークと本を扱う店を
立ち上げてそのビジネスを軌道に乗せて
地域のボランティア活動にも
積極的に参加し、
住んでいるライマ市(オハイオ州)
友好都市締結にも功労している。
桂子と同じ戦後に
アメリカ人と結婚した日本人女性
は当時戦争花嫁と呼ばれて
その数は4万人にもなるとのこと。
しかし歴史として語り伝えられることが少ないことで
その言葉を知らない日本人が多くなった。
それは番組冒頭に川嶋氏が渋谷の街頭で
インタビューをしたことでわかっている。
戦争花嫁とその家族で集まったときに
「戦争という言葉を私たちに使わないでほしい、
だいきらい。」という言葉も出た。
子どもから孫まで日系として心身ともに傷つけられることも
あったが、いまでは誇りに思うとの声も。
それは桂子が夫フランクとの愛が
まったく揺るがなかったことを意味している。
戦争が阻むものは
愛することを貫くことではないのか。
互いの国同士が憎しみ合って開戦(または宣戦布告)すれば
国境を越えた愛は実現できない。
まして国家レベルのマインドコントロールで
その愛から「憎悪」に変わることもある。
戦争が終わって平和になり
対決していた国がいま友好関係であることが
桂子の人生に大きな試練と希望を与えたのではないか。
川嶋氏はこの歴史を伝えていきたいとしているが
学校で取り上げにくい戦争花嫁という「事実」を
どのように伝えていくのか。
簡単なようで難しいと思う。
せめて桂子氏がこれからの長生きしてほしいと
願うばかりだ。