吉田茂は国葬に値する仕事をしたのかという疑問

1967年に亡くなった吉田茂・元首相が

国葬になった理由としては

「戦後GHQ(連合国軍総司令部)に占領された日本を

 サンフランシスコ講和条約で独立国に復帰させてくれたから。」

ということになっているが、

松戸市民ネットワークが発行する「たんぽぽ」最新号では

このような記事があった。

編集部の岩元修一さんが

岩波の「世界」2021年10月号の

日米安保70年の本質~外務省は何を隠蔽したのか』(豊下楢彦)を

読んで、当時の「吉田外交」のあり方を考察したものだった。

天皇外交に敗北した吉田茂

前述の講和条約日米安保条約について

外務省は2つの事実を隠していた。

吉田茂は「自尊心を傷つけられずして承諾できる」条約を取り結ぶことで

独立を回復したいとアメリカのダレス特使(国務長官)との交渉に臨んだが、

「我々は日本に、

 我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ

 駐留させる権利を獲得する。」と交渉でダレスが発言したという。

この時から「講和」だけでなく「安保」もセットで

交渉が始まっていた、というより

朝鮮戦争の最中で日本は「米軍基地を提供できること」で

アメリカに講和を迫るというカードを持っていたのだが

結果的には日米安保条約が結ばれたことで

ダレスが目指す通りにはなった。

しかし、米軍の駐留はアメリカの「権利」と第1条に規定され

その一方で米軍が極東における軍事作戦のために

日本の基地を自由に使用できる「極東事項」が明記された。

また日本の内乱に「介入して鎮圧することができる」とした。

ただ、これだけではなにを隠蔽したのかがわからない。

吉田茂は一日でも早く講和を実現するために

日米安保条約を陰で受け入れたというイメージがあるからだ。

 

実際には吉田はこの安保条約の内容に「全権固辞」を示すことで

平和会議に自分は出席したくないと意思表示したという。

これが隠蔽された一つめの事実だ。

ではなぜサンフランシスコ講和会議に吉田は参加して

調印したのか?

 

昭和天皇にとって朝鮮戦争天皇制存続に直結する脅威であり、

 『基地の自発的なオファ(ー)』という無条件の基地提供によって

 米軍が日本の防衛にあたることは絶対的な要請であった。」

昭和天皇自らが日米交渉に深くかかわっていた」

これらが隠蔽されたもう一つの事実だ。

もっとも1951年に昭和天皇とダレス特使の会見が行われ

米軍の駐留はあくまで「日本からの要請」に基づいて

アメリカが施す「恩恵」であるという「基本方針」を

説明したのに対し、

昭和天皇は全面的な同意を表明したのだ。

しかし、憲法では4条によって

「この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」

と定めている。

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吉田が「(日本の)自尊心を傷つけられた!」ということで

全面固辞をやられたら、それは天皇の意思に反することになる。

しかし天皇はそれを覆すことは出来ないから

無理矢理にでも内閣が講和条約を受け入れることにしたのだろうか?

 

筆者は講和条約の核心である日米安保条約交渉で、

吉田外交は天皇外交とアメリカ外交に敗北したと結論づけている。

私もこれに同意する。

吉田の死去は内閣総辞職から10年以上経ってからだが

その評価は難しいものであるはずなのに

雰囲気やイメージによって「つくられた」という

結果が残されたということになると思う。

そして安倍元首相にもそういうイメージや雰囲気が

国葬の前に徐々につくられている感じがある。

もっとも「反対」の声も高くなっているのも事実だ。

このぶつかり合いはまだ続く。

誰にも隠蔽することは出来ない

「時代の変化」なのだ。

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