きのうは神奈川の津久井やまゆり園で起きた
大量殺人事件が起きた日。
しかし新聞がその当時を振り返る記事を出さなければ
誰も思い出すことができないくらい
その記憶が風化していると思う。
この日に1人の死刑が執行された。
14年前に起きた東京・秋葉原の連続殺傷事件の
犯人である。
二つの戦慄的な出来事が
ついにつながってしまったのである。
この事件の犯人もやまゆり園事件の犯人も
そのやり方が報じられると
多くの人間たちが怒りよりも恐怖におびえた。
とても信じられない凶行の背景には何があるのか。
その心の闇をあらゆる角度から分析されても
その真実にたどり着けないまま時間が過ぎた。
結論は「わからない」。
ネットの掲示板で自らのアカウントが乗っ取られたことが
動機になったと言われるが
「本当にそうなのか?」
そしてやまゆり園事件については
以前ブログで書いた通り。
あの時は「おい!植松!そんなに死にたければ一人で死ね!」
と怒りにまかせて書いたが
本人は全くその気がないことは
その後の裁判と死刑判決後の再審請求などの動きをみても
分かる通りだ。
植松は自己を正当化させるために
凶行に走ったと司法は厳しく断罪したのだが。
それでも真実は「わからない」。
殺人は自らの目的を果たすためか、
それとも衝動的なものか、
あとで理屈をこねてもそれが説得力がないことは
本人がよくわかっているはずだ。
だから恐怖だけが漂っている。
それが狙いなのか。
本来ならば犯人(被告人)が自らの心に
戒めを感じるまで本当の刑を執行してはならない。
だから秋葉原の場合は14年もかかったのだろうが
それでは、加藤智大(かとう ともひろ)は
戒めを感じたのだろうか。
それは公表されることがない。
解き明かすはずの謎だけが残った。
そして命が奪われ、大きな傷を負った
被害者やその周辺だけが取り残される。
それを考えると、ただ苦しいだけ。
なんとかならないだろうか。