きょう、PCR検査の結果がくるかもしれない。
果たしてどうなるか。
なにしろきのうは電話を待っていたが
来なかったので。
昼に少し買い物を家の近くでした以外は
家にこもりっぱなしだった。
読書(春風亭一之輔のいちのすけのまくら・17日に購入)と
たまっていた録画を見ていた。
その中でもBS松竹東急でやってた
2度目の鑑賞(その時も録画)になったが
あの時以上に感じることがあった。
ウクライナから避難民が日本に来て
そのための支援の輪がひろがる一方で
アジアの近隣諸国の難民や
日本で学びたいと望んできた
留学生に対して
いまだに他人事を決め込む日本人が多いことが
この映画でも露わになったからだ。
ブータン人の留学生・ドルジが初めて交友を持った琴美、
元カレだった河崎、そして琴美がバイトをしていた
ペットショップ店長の麗子。
その琴美がペット虐待を目の当たりにして
許せないと思ったことから事件、というより
「のようなもの」が始まった。
そのつづきに、仙台に進学のためにやってきた
椎名(濱田岳)が絡んでくるというストーリーだが、
物語の最後で河崎になりすましたドルジ(瑛太が好演)
が「僕が外国人だったら興味が持たなかっただろう?」
という問いかけに
「そんなことはないよ」と椎名。
神様の声と受けとめたのは
ボブディランの「風に吹かれて」だった。
まさにこの歌詞が
いまのウクライナ情勢をそのまま物語っているのだ。
幸福度が世界一の国であるブータンだが、
物語では神様が善い事を行えば
生まれ変わっても幸せになれる。
だから悪い行い(暴行や殺人など)はできないと。
「だったら、神様を隠して
見なかったことにしてもらおう。」
これが、アヒル(外国から来た人)と鴨(日本人)との
心からのつながりになったけど、
最後は河崎になって椎名を巻き込んだドルジが
ペット虐待と琴美をひき殺した主犯の
ブータンの鳥葬のようにやっつけて
麗子から「自首しなさい」と言われて
「そう、ですね」とドルジが
ブータン人の口調に戻ったところは
こちらもやるせない気分になった。
ウクライナとコロナと
いまだに解決が出来ないこの現実のなかで
みんなが平等に神様が見ているはずだから
必ず希望があるはずだ。
ただ、大切なことを忘れているから
神様はひょっとしたら
隠れているかもしれない。
だからそれを探せばいいんだ。
どこかに神様を隠しているコインロッカーは
見つかるはずだと。
そう信じたいのだが。
ちなみにこの映画が公開された年は
AIDSが社会的脅威になったが
いまでは特効薬が出来たことで
関心は薄れている。
忘れられていることが
コロナ禍でまた蘇ってしまった。
それが現在なのだ。