山本五十六と戦争の熱狂と

12月8日に前後してテレビや新聞で

あの時の戦争への道を振り返り検証する

番組や記事を目にすることが多かった。

いわゆる「8月ジャーナリズム」ではない

戦争報道の流れはとても良いことだと思う。

その中で開戦の日にもっともふさわしい企画だなと

思った番組があった。

10日の金曜日に放送されて

きのうの午前中に再放送された

NHKの「ネタドリ!」だった。

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新潟ローカルの「きらっと新潟」とコラボして

海軍大将の山本五十六にクローズアップした企画だった。

あの真珠湾攻撃を指揮した山本五十六

開戦に反対しながらもいざ戦いが始まれば

「2・3年は大暴れしてみせる」と

当時の近衛文麿首相からの問いに応えたとされ

のちに「軍神」と讃えられるまでになったが

1939年(昭和14年)、海軍次官だった頃

なんと「辞職勧告書」を突き付けられたことがあるという。

それは枢軸国だったドイツとイタリアとの

三国同盟」を結ぶことに反対していたからだった。

ドイツと軍事同盟を結ぶことで

アメリカに刺激を与えることになる。

日本は戦力や資源の備蓄や供給からしても

アメリカの大きな差がつけられている。

戦っても勝ち目がないからと考えたからだ。

しかし、国民からの熱狂を受ける形で

三国同盟が結ばれた。

新潟の長岡市にある山本五十六記念館では

本人宛に届いた勧告書などから

海軍大将だった五十六自身も

戦争に向かう道に翻弄され、戦死後も

アメリカとの戦いを進めるために

真珠湾攻撃の戦果を利用され

「山本元帥に続け!」という言葉が

子ども達にまでとどろくまでになったが

子孫たちからは

「このようなやり方は本人が望むところではなかった」と

いう思いを五十六自身が残したという

証言もあった。

rekisiru.com

五十六自身のエピソードとして

こんな証言があった。

いとこの孫にあたる女性がまだ小さかった頃

魚の骨がのどに刺さっていやだったときに

人差し指と中指がなかった左手を差し出して

昔、お腹があまりにもすいたので

指までたべちゃって骨がのどにささったことがあるんだ、

その時にのどに骨がささって大変だったんだ。

魚の骨は小さいからおとなしくしてれば

そのうち取れてしまうよと話していたそうだ。

もちろんウソの話だがそれだけ

子どもや孫などにも温かい目で接して

「やってみせ、言って聞かせて、

 させてみせ、ほめてやらねば、

 人は動かじ。

 話し合い、耳を傾け、承認し、

 任せてやらねば、人は育たず。

 やっている、姿を感謝で見守って、

 信頼せねば、人は実らず。」

の名言を残したほどの

人を動かす術を磨き上げていた人生だったのだと。

それが研究を進めていくことで

よくわかってくると資料館の関係者の話があった。

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yamamoto-isoroku.com

あの時の戦争への熱狂は

突然に現れたのではなく、

徐々に国民を一つの方向に向かわせる形で

大きくなっていった。

「好戦的な記事や言説を書けば

 新聞が売れた時代だった。」

その一方で五十六は冷静に戦況を見極めようとしていたが

熱狂に飲み込まれて自らの意に反する

方向へ戦争を導いてしまったのだった。

 

「個人の意見と正確に正反対の決意を固めその方向に一途邁進のほかなき現在の立場は誠に変なものなり。これも命というものか」

 

真珠湾攻撃の作戦を遂行する2か月前に

友人に宛てた手紙に書いてあった一部より。

私たちがこれからの戦争と安全保障を考える上で

もっとも見つめるべき言葉ではないか。

戦いが始まればだれが大きな犠牲を払うことになるのか。

ここから軍縮と平和を考えなければならない。

なお30日にNHKテレビで

香取慎吾主演で五十六のドラマをやるそうだ。

こちらもチェックしなければならない。

www.nhk.or.jp

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