言葉が出ない。
何も言いようがないまま
静かに時間だけが
過ぎていくような。
2005年4月25日の朝、
この衝撃的事故がニュースを独占し
多くの恐怖が日本中を包んだ。
駅から西へ、大きな通りを歩いて
市の公設市場を線路沿いに北へ行くと
すっぽりとシェルターで覆われた建物を見つけた。
ここが事故現場「祈りの杜」だ。
踏み切りを渡り出入口へ。
警備さんにあいさつをして記帳をしたあとに
玄関にはいり、エレベーターで地下1階に。
事故を伝える空間では
発生から原因究明までの詳細などが時系列で展示されて
資料室では新聞記事が展示されて関係の書籍が置いてあった。
もっともこれらのことは
特に新しい発見などはなかった。
中心には追悼の空間があり
ガラスケースには手紙や追悼に関する品が納められた箱が
あった。あとは何もない空間。
地上に出て外へ。
芝生で敷き詰められた庭の中心部に慰霊塔があり
そこで手を合わせる。
シェルターで覆われた中は脱線した列車が激突した
マンションが4階の一部までを残して
解体されているのを保存している。
一階は駐車場だった。そこと北へと歩くと
お地蔵さんが。ここでも手を合わせる。
木々の覆われたところの庭の裏をみると
ここまで脱線した列車が大破して横倒しになった
痕跡があった。殺風景だからとはいえ、これでは見えずらい。
その反対の空間も列車の破片などが片付けられて
ぽっかりと穴が開いたような痕跡、
さらにその片すみには脱線した車輪の痕らしきものが。
じっくり見てやっと事故の状況が想像できるかどうかだ。
JR側としては事故の記憶を後世に残すために
マンションの所有者側と合意して
なんとか追悼の場を整備したのだろうが、
あまりにもきれいになりすぎている。
その一方で、一部の遺族が求めていた
歴代社長(3人)の刑事責任は
法廷の場で否定されてしまった。
そして運転手が事故死したことで
真相そのものは永遠に明らかにされないままになっている。
風化をしないために
何ができるのか。
それだけが問われている。
(祈りの杜の出入口前の踏切にて。2枚とも。)
あれから人為的な脱線による死傷事故は起きていないが
安全への課題はまだ残っている。
とくに今年はコロナ禍などで
終電の繰り上げがダイヤ改正で実施されたかと思ったら
オリンピック開催で深夜運転が検討されたり
無観客になったことでやっぱりやめることになりそうだったり
運行に携わる現場のストレスが重くなっているのではないか。
これが思わぬヒューマンエラーに繋がる可能性も
なくはない。
この事故を教訓に再度教育を進める動きもあるが
何よりも運転する側に「ゆとり」が確保されなければ
悲劇はまた起きる。
どうか、起こらないように。
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