JR尼崎福知山線事故現場に行った(7月11日)

言葉が出ない。

何も言いようがないまま

静かに時間だけが

過ぎていくような。

 

2005年4月25日の朝、

この衝撃的事故がニュースを独占し

多くの恐怖が日本中を包んだ。

兵庫県尼崎市で起きた

JR西日本福知山線脱線事故である。

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駅から西へ、大きな通りを歩いて

市の公設市場を線路沿いに北へ行くと

すっぽりとシェルターで覆われた建物を見つけた。

ここが事故現場「祈りの杜」だ。

 

踏み切りを渡り出入口へ。

警備さんにあいさつをして記帳をしたあとに

玄関にはいり、エレベーターで地下1階に。

事故を伝える空間では

発生から原因究明までの詳細などが時系列で展示されて

資料室では新聞記事が展示されて関係の書籍が置いてあった。

もっともこれらのことは

国土交通省事故調査委員会の内容がベースになっているので

特に新しい発見などはなかった。

中心には追悼の空間があり

ガラスケースには手紙や追悼に関する品が納められた箱が

あった。あとは何もない空間。

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地上に出て外へ。


芝生で敷き詰められた庭の中心部に慰霊塔があり

そこで手を合わせる。

シェルターで覆われた中は脱線した列車が激突した

マンションが4階の一部までを残して

解体されているのを保存している。

一階は駐車場だった。そこと北へと歩くと

お地蔵さんが。ここでも手を合わせる。

木々の覆われたところの庭の裏をみると

ここまで脱線した列車が大破して横倒しになった

痕跡があった。殺風景だからとはいえ、これでは見えずらい。

その反対の空間も列車の破片などが片付けられて

ぽっかりと穴が開いたような痕跡、

さらにその片すみには脱線した車輪の痕らしきものが。

じっくり見てやっと事故の状況が想像できるかどうかだ。

 

JR側としては事故の記憶を後世に残すために

マンションの所有者側と合意して

なんとか追悼の場を整備したのだろうが、

あまりにもきれいになりすぎている。

 

その一方で、一部の遺族が求めていた

歴代社長(3人)の刑事責任は

法廷の場で否定されてしまった。

そして運転手が事故死したことで

真相そのものは永遠に明らかにされないままになっている。

 

風化をしないために

何ができるのか。

それだけが問われている。

 

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(祈りの杜の出入口前の踏切にて。2枚とも。)

 

あれから人為的な脱線による死傷事故は起きていないが

安全への課題はまだ残っている。

とくに今年はコロナ禍などで

終電の繰り上げがダイヤ改正で実施されたかと思ったら

オリンピック開催で深夜運転が検討されたり

無観客になったことでやっぱりやめることになりそうだったり

運行に携わる現場のストレスが重くなっているのではないか。

これが思わぬヒューマンエラーに繋がる可能性も

なくはない。

この事故を教訓に再度教育を進める動きもあるが

何よりも運転する側に「ゆとり」が確保されなければ

悲劇はまた起きる。

どうか、起こらないように。

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