学校のプールがなくなる日が「もう近い」

きょうの東京新聞社会面に「これは!」という記事があった。

老朽化した小学校のプールを改修・新築せずに

廃止・撤去をして、水泳の授業は

近くの屋内プールで行うようにするという

自治体が多くなったという話だ。

学校のプール、廃止相次ぐ…水泳の授業なくす自治体も:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

 

「猛暑の影響などで、屋外プールでの水泳指導が思うようにできなくなってきている」

 

葛飾教育委員会の関係者のコメント。

熱中症対策や水着姿を外から見られないようにするなどの

配慮に気を使うだけでなく

学校側が負うコストの削減にもなるからだと。

しかし屋内プールへの移動や

指導をプール所属のインストラクターに任せた場合の

成績評価をどうするのか。この点は綿密にやる必要があると

千葉市教育委員会の関係者から。

ただしスポーツ庁

「安全面に考慮し、指導要領に示された内容を適切に実施していれば問題ない」

とコメント。

 

私が小学生だった1970年代は、

学校にプールを設置することが市町村どころか都道府県、

さらに国の政治をも動かす

大きな課題とされていた。

海や川が水質汚染や水難事故の多発で

子どもが安心して泳げなくなったこともあるのだろうが

やはり1964年の東京オリンピックの影響もあったのではないか。

今の時代と違って

民間での大きな競技用プールがそれほどなかった時代である。

そして学校のみならず

公営や民間の室内プール、というより水泳場が

かなり増えたところで

小中高の野外プールの魅力や人気がなくなってきた。

そんな時代の流れになったと思う。

 

太陽の日差しを浴びて

むちゃくちゃ熱くなったコンクリートの床を

アチアチと歩き、準備体操をして

足から徐々に水をつかり

バタ足からクロール、平泳ぎ

バタフライはできなかったが

時には鬼ごっこのようなこともやった。

潜りっこでどれだけタイムを稼げるかということも。

そして水泳大会もクラス対抗で盛り上がったっけ。

飛び込みに失敗すると

お腹をパ―ンと打ったりして。

きょうから7月。

学校のプール開きはまさに夏の始まりを告げる

風物詩のようなものだった気がする。

それが、これから室内でやるとなると

なんだか「泳ぐ」ことばかりで

季節を楽しむということが

出来なくなるのでは?

教育って、競うだけでなく

そういうことも大切だと思うが

なにしろコロナ禍、いまの子どもは

もはや季節の変わり目を感じるどころでない

味気ない日々を過ごしていないか。

これで学校のプールがなくなるのは

なんともかわいそうな気がするのだが。

 

仕方がないことなのか?

 

学校プールの廃止が増加 水泳授業は校外の屋内プールで 理由は「猛暑、見られない配慮、コスト削減」 | 子育て世代がつながる | 東京すくすく ― 東京新聞 (tokyo-np.co.jp)