沖縄に持ち込まれ放題だった「核兵器」

今年、沖縄に行くことをあきらめた。

 

辺野古埋め立てに南部戦跡(糸満市米須の)の土砂を使うことに

反対するハンストを直接応援したい、

もちろんキャンプハンセン前の直接行動にも

参加したかった。

 

しかし、沖縄県

まん防こと「まん延防止等重点措置」指定が

11日から31日まで延長になった。

これでは6月23日の「慰霊の日」になっても

再延長の可能性が消えないと思ったからだ。

私の住む県もまん防に指定されているので

かえって迷惑をかけてしまいかねない。

残念だがしょうがない。

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10日の東京新聞朝刊三面では

琉球大学我部政明名誉教授が、

アメリカ空軍第313航空師団の年次報告で公開された記録を入手したところ、

1950~60年代に住民が住む地域に近い場所に

核兵器の実弾を搬入する訓練が数多く行われた事実が

書かれていたことがわかったとのこと。

とくに1957年は前半だけでも

約150回も行われていたことがわかった。

その中には広島に投下された原爆の100倍以上の

破壊力がある水素爆弾(水爆)「MK15」を使用した

訓練(ホワイトホース・白馬作戦)も行われた。

その拠点になったのが、

これからも返還されずに残される嘉手納基地である。

すでに朝鮮戦争は休戦協定が結ばれたのにも関わらず

核兵器開発・核軍縮の歩み_冷戦崩壊 (city.hiroshima.jp)

核攻撃の訓練をやっていたのは

なぜだろうか?

 

ちなみにアメリカとソ連をめぐるキューバ危機が起きたのは

1962年のこと。そこから核軍縮に関する動きが高まってきたが

そこを考えると、当時の沖縄で行われた訓練は

朝鮮半島や中国(当時は中共と言われたが)を想定したのではなく、

まさか共産主義政権が発足したばかりのキューバだったのだろうか?

現に、下の写真にある戦闘機に水爆を装着する訓練。

撮影日は1962年10月23日になっているのだ!

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沖縄から米軍の核兵器が撤収されたのは

1969年の日米首脳会談で

「核抜き本土並み」での沖縄返還に双方が同意してからだと

言われるが、

これから米中対立が深刻化すれば

「同じことの繰り返し」になるかもしれない。

その可能性はゼロではないのだ。

だからこれからも叫び続ける。

 

もう沖縄に基地はいらない!(自衛隊も!)

 

新型コロナウイルス感染症に関する各種情報について/沖縄県 (okinawa.lg.jp)

沖縄で核実弾訓練、半年150回 冷戦下の1950~60年代:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

「海を元に戻せ」反対座り込み2500日目 沖縄名護の米軍新基地建設 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)