懐かしい、学校プリントの思い出

15日の「新聞うずみ火」埼玉読者の集いでは

昨今の新聞の事情から

活版印刷、つまり活字を集めるところから

製本や新聞などを製作することが

いまでは少なくなったこと。

それから、

昔は労働組合や地域の市民団体の

機関紙(便りなど)をつくるときは

活字どころか、

ガリ版刷りが当たり前だったという

話も出た。

私はこの話を聞いて

小・中学校の頃を思い出した。

 

いまではパソコンなどのデジタル印刷が

学校の現場でも当たり前になっているようだが

1970~80年代は

学級便りや保護者向けのプリント、

または給食の献立表は

みんなガリ版刷りだったはずだ。

ロウ原紙(カーボン紙だと思ったが間違えて覚えていた。)

に鉄筆でガリガリと傷をつけるように

文を書くことからこう呼ばれていて

最後は謄写版にインクを入れて

ローラーで伸ばして

それにわら半紙を入れて刷っていくと

プリントが出来上がる。

普段は先生たちがこの仕事をやっていたが

何回かこの作業を手伝ってくれと

言われて

インクを指についたりしながら

「これが印刷というものか」と

新しい発見に喜びを感じたものだった。

 

「そういえばみんな腕カバーをしてましたね。」

「そうですね、腕のところが汚れないようにね。」

これもなつかしい。

私は職場では使わなかったが

いまでもドラマなどでときどき出てくる。

 

あの頃の学校はまだ「ゆとり」があった。

先生と生徒が授業以外に

いつでもいろいろな話をしたり

休み時間にスポーツ、というより

遊びに近いことをしたり

コミュニケーションがとにかく濃密に

なっていたと思う。

だからクラスの中で問題があったとしても

解決できることが多かったと思う。

 

いまはどうだろうか?

先生も生徒も

見えないところでしんどい思いをしているのでは

ないだろうか。

 

もうプリントも

わら半紙を使っている学校は

ないだろう。

でもあの頃は活字じゃなくても

先生からの声が確実に

すべての生徒に伝わっていたと思う。

たぶん手書きだからじゃないかな。

そんなことを考える。

 

ちなみに

21日に日テレ

で放送された「コクリコ坂から」でも

ガリ版刷りのシーンがありましたね。

ガリをきる」って言葉を

初めて知りました。

昔が当たり前だったのかも

知れませんね。

 

 

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