コロナ禍で「合唱」ダメでも「君が代」は強制ってダメじゃん!

24日に行われた

「自由な風の歌」合唱団のワークショップの

参加のお礼メールがきのう届いた。

飯村孝夫先生の「リズムを捉える(リズムは動くものだから)」指導のことや

様々な制約がありながら参加者の皆様の協力のおかげで

行うことが出来たことに感謝しますと。

 

そして、3月に行われた都立学校の卒業式で

校歌や「卒業生を送る歌」などが

コロナウイルスの感染防止のために

中止になったのに、

なぜか「君が代」斉唱だけが

強制されたことについて、

実行委員の一人が自らの思いをつづった一文もあった。

20日付の東京新聞一面と特報面の記事で

「書かれなかったこと」だった。

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今回の「強制」の一件では

2月28日に東京都教育庁の指導部が

全都立学校長に『事務連絡』として

卒業式に「国家掲揚」「国歌斉唱」をしなくても

「本年度に限り、不適切な状況として取り扱わない」としていたのに、

同日の夕方、写真の記事(特報面)の

文書のアンダーラインの箇所である

「現時点で『国旗掲揚の下に体育館で実施する』『国歌斉唱を行う』

 という方針に変わりはありません」が強調された

2回目の文書が流されたという。

まさに朝令暮改

不自然極まりない「指導」で

卒業生と教職員だけの式で

君が代」を歌わされ、従わない教職員は

懲戒処分という状況は

昨年(2003年の「10・23通達」から続く)と

同じ状態になったのだ。

歌唱が元で式典から「クラスター」が出たら

どうするつもりだったのか。

 

「保護者も在校生もいない

 広い体育館で、飛沫感染を避けるために

 距離をとって卒業生を国旗に向かって立たせて、

『国歌斉唱』をさせる・・・、

 もう笑っちゃうしかないけど」と

知り合い(実行委員と)の教員からの

メールが届いた。

別な教員からも

「校長は『通達』があるからどうしようもがない、

 『都民の声』として外部から都へ

 声をあげてもらうしかない、といっている。」

と悲鳴のようなメールも。

 

なぜ、こんなことになったのか。

「自由な風の歌」コンサートは

日の丸君が代の不起立、不伴奏、不斉唱に対する

処分と闘う教職員を励ますために

作曲家の林光先生が2005年から始めて

昨年までに14回行われたが

今年はコロナ感染拡大防止のために

練習が出来ず、会場の貸し出しも困難(8月延期で10月開催もだめだった。)

で中止。

それでも「君が代」は強制される理由として

「思考停止がもたらすものをあぶりだしているのでは

 ないでしょうか」と。

 

どういうことか?

生徒の健康や安全に目をつぶり

「お上の命令に従う」ことが大切、

と身を守る大人たちの姿こそが

思考停止の状態なのだ。

そして、子どもたちも慣らされながら

育っていくのでしょうかと懸念している。

 

国旗・国歌の強制は

全体主義を強めることにより

一人一人の人間が持つ良心を侵害し

破壊する行為をもたらすとして

憲法19条に違反する行為と指摘されている。

だから国旗国歌法が制定された時も

「強制はしない」という法見解が定められていた。

しかし東京都は2003年以来

都立学校における強制を継続させ、

ついにコロナ感染拡大をエスカレートさせた。

挙句の果てに

「夜の街が悪い」「パチンコ屋(無罪の)が悪い」

そして、

「若年層が感染を拡大させた」と

根拠のない(感染者の半数以上が経路不明なのに)

デマを都知事がばら撒いている。

もしそうだとすれば

君が代を強制させた「卒業式」も

感染を拡大させた疑いも出てくるはずだ。

 

都は絶対に否定するだろうが、

絶対に追及するすべきことではないのか。

実行委員の一人は

こう文を結んだ。

「この空気、皆で思い切って

 窓を開け、換気が必要ですね!」

まさに同意!である。

 

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