2020年沖縄の旅(5)

(おことわり)

誠に申し訳ありません。

7月5日公開以降、

別の話を書きこんでいたので

沖縄の旅についてはかなり間が空きました。

この後に「GoToキャンペーン」が

東京だけ除外という異様なやり方に変わったり、

米軍施設でクラスターが発生するなど

沖縄をめぐる情勢が変わりました。

 

ここからは

あくまでも、1か月前の出来事として

お付き合いください。

 

(承前)

雨が物凄く降り続く中で

平和祈念資料館でしばしの雨宿り。

中では「新収蔵展」が企画展示室で行われていた。

一番印象に残ったのは

南洋に渡って開拓をした人が表彰されたときの証書、

中国から除隊後に地元で教練をしたときに

家族がこしらえた教練服(軍服と同じ)。

そして大きな弾薬箱など。

沖縄戦のみならず、

戦争が始まったころの記憶をそのまま残した

新たな資料がこれからも

多くの人々が見てくれることを望みたい。

子ども・プロセス展示室では

戦争中の子供向け雑誌や

キンダーブック(絵本のようなもの)、

また戦争ものの紙芝居が置いてあり

じっくりと読ませてもらった。

紙芝居の中には

以前行った埼玉県平和資料館からの

資料からの貸し出し品があり

ニューギニア戦線で敵地の陣営を

占領しながら

空からの爆撃で追い詰められ

玉砕となったストーリーで

もしもわが軍にもっと飛行機があれば

反撃をして日本が勝つことが出来たという望みを込めて

すべてを軍に捧げることを強要する内容になっている。

まるで今のコロナウイルスにおける

世論の動きに似たものがあるが

まさに戦時の教育を知るための

資料そのものになっていた。

これらをずっと読んでいるあいだに

雨はやみ、青空が出てきた。

去年と同じだ。

平和祈念式典になると

必ず雨がおさまるのだ。

これはどういう現象なのかは私にもわからない。

エレベーターで展望台へ。

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平和の礎や海を見て

そこから一周して他の風景を見ると

沖縄平和祈念堂の近くに

韓国人の慰霊塔があるのを

知り、下へおりて

行ってみた。

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これだけ大きな慰霊塔があったのを初めて知った。

手を合わせたあとに

近くの碑を見た。

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(1941年 太平洋戦争が勃発するや多くの韓国青年達は

 日本の強制的徴募により【中国】大陸や南洋の各戦線に配置された。

 この沖縄の地にも徴兵、徴用として動員された1萬余名が

 あらゆる艱難を強いられたあげく、あるいは戦死、

 あるいは虐殺されるなど惜しくも犠牲になった。

 祖国に帰り得ざる魂は、

 波高きこの地の虚空にさまよいながら

 雨になって降り風となって吹くだろう。

 この孤独な霊魂を慰めるべく、

 われわれは全韓国民族の名において

 この塔を建て謹んで英霊の冥福を祈る。

 願わくば安らかに眠られよ。)

英語とハングルでも同じ碑文があった。

民団からの献花があったが

当時の韓国はまだ日本領だった。

本土や沖縄の人と同じように

兵隊にとられて

激戦の中で命を失った多くの韓国人の

悲しみを永遠に遺すものとして

これからも語り伝えてほしい。

というより日本人がもっとも

知らなければいけないことである。

この時点で式典開始の時刻まで

まだ1時間あった。

近くの売店

手作りぜんざいを食べる。(300円)

隣の客は「ちょっと豆が硬いね。」

「昔のおばぁがつくってくれた味なのよ。」

といってたが

この素朴な甘さがよかった。

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(つづく)

www.peace-museum.pref.okinawa.jp

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