2020年沖縄の旅(4)

(きのうのつづき)

まだ慰霊式典には時間が早かったので

平和の礎から祈念公園を隅々まで

回ってみようと思った。

マスコミの記者が

祈りのために来た犠牲者の家族や親族たちの

取材を続けているなか

式典の会場から

島守の塔に行くところで

見かけたものは

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命どぅ宝の碑。

「命こそ 最高の 宝である」

の字も刻まれていた。

その近くには

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全学徒隊の碑があった。

ひめゆり」や「白梅」を含む

沖縄県のすべての学徒動員の霊を悼むために

設けられたようだが

じっくり歩くことがない限り

これを見ることが出来ないだろう。

そこから「霊域」と呼ばれる場所へ

坂道を登っていくと

「栃木の塔」「みちのくの塔(青森県戦没者)」

に続いて見えたのは

地元・千葉県の「房総の塔」だった。

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昭和40年代に建立されて

その後、台風被害を受けたことで

平成の年にスロープ設置などの周辺整備を行ったと

近くの碑にあった。

果たして千葉県民は

このことをどれだけ知っているのだろうか。

ただ黙って手を合わせて

追悼の意をささげた。

 

この先を歩き続けると

一中健児の塔にたどり着くと案内版に書いてあったので

国立平和墓苑を突き抜けて歩き続けているときに

東京新聞の記者から取材を受けた。

 

なんでもコロナ禍の影響で

追悼記念式典を簡略化させて

前述の墓苑でやる計画を

沖縄県が考えていたそうだ。

「知っていましたか?」

もちろんNOだ。

「この辺りをよく知っていますか?」

知ってるわけがない。

はじめてここに足を踏み入れたのだから。

 

おそらく沖縄県民も

この事実を知ってる人なんて誰もいないだろう。

しかし自粛要請は

県ではなくて安倍政権が決める。

もしも23日までに解除されなければ

無理矢理なかたちで、慰霊式典は

「沖縄のこころ」を無視して

やっていたに違いない。

(当然私は現場にいられなかった。)

 

憤りを募らせた中で

上り坂を階段であがって

「黎明の塔」へ。

そしたら今度は

急な下り坂を滑らないように

ゆっくりと歩みをすすめて

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途中第三十三部隊終焉の地のガマ(豪)を

見ながら

やっと健児の塔へとたどり着く。

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今年は慰霊祭は中止になり

献花と自由参拝のみになった。

去年は慰霊祭が行われていた時に

見に行ったが、

やはりコロナ対策のため

やむを得ないということか。

取材する記者やカメラマンなどが

雨に注意しながら

撮影や待機をしていた。

そして再び長い階段を登ったり下ったりしながら

平和祈念資料館に着いたときは

雨が激しく降り始めていた。

(つづく)

 

 

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