オリンピックは反対どころか「災害」だって!

新型コロナウイルスの影響で

来年7月24日に開催が延期された

東京オリンピックであるが、

中止すべきだという意見もある。

しかし、マスコミも公式スポンサーであることから

このような声が伝えられないことが多い。

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松戸市民ネットワーク「松戸で生きたい私たち」が

編集・発行する月刊紙「たんぽぽ」の最新号(4月号)では

「オリンピックは災害である~世界で広がる反対運動」という

記事があった。

これにはおおいに納得した。

 

その理由として、記事の最初の見出しにあった

「五輪が災害?最悪の人災の戦争と相似的!」

にある。

それは「平和のために、世界の人々の交流の場」

としての祭典という建前がありながら、

実際は選手たちは

国家を背負わされ

表彰式では国旗掲揚・国歌斉唱を

義務付けられる。

「国会意識の煽りすぎこそが

 戦争の大きな要因で『平和』が

 霞んでしまいます。」

ちなみに五輪憲章では

参加は「個人」になっていることから

これが見事な矛盾として

現れている。

オーウェルと安倍公房は

オリンピックの現場から

この矛盾の具体性をも引き出している。

「国際的競技会は憎悪の発端となり、

 (そこでの)スポーツは戦争の

 模倣になる。しかし重要なのは

 選手たちではなく、

 観客の態度、背後にいる国家の態度だ。」

オーウェルの「スポーツ精神」より)

「林立する国旗の群れは

 国家の出しゃばり過ぎだ。

 国家ほどの巨大組織が、

 発達した筋肉に、

 あれほど肩入れするというのは

 不自然すぎる。何か魂胆(こんたん)が

 あるに違いない。」

(安倍公房「方舟さくらまる」より)

この筆者である同紙編集部の

小林孝信氏は、

2017年1月に

「オリンピック災害」おことわり連絡会を

結成し、今年には

講演会や集会だけではなく

「2020年東京五輪に反対する20の理由ガイドブック」

を発行した。その要点の中には

優生思想、ジェンダー差別、野宿・生活者の排除なども

含まれていた。

 

近代オリンピックは様々な変遷を重ねて

いまの形に落ち着いたように見えるが、

そこには「参加することに意義がある」という

オリンピック精神(信条)が

どんどん薄れていくような

気がしてならない。

それも誰もが意識していなかった

国家主義・商業主義・差別主義」が

大きく横たわっているとしか思えない。

これを許せば

日本人はオリンピックが

自らの命を守ることはできないのだ。

www.asahi.com

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それにしても、レガシーは

このオリンピックに残るものだろうか。