大林宣彦監督を偲んで

10日のニュースで

映画監督の大林宣彦さんが亡くなったことを知った。

昨年見たドキュメンタリーで

肺がんを告知、治療を続けながらも

「海辺の映画館 キネマの玉手箱」を撮影し続けたのを

知っていただけに残念なことだ。

おそらくこの作品の公開を記念しての

企画だったと思う

「花筐 HANAGATAMI」を

きのう、CS放送で見たのだが、

この作品は他の反戦映画とは違った

手法で、観るものをグイグイと引き付けさせた。

 

広島・尾道を舞台にした作品が多い

大林氏だが、この作品は佐賀県唐津市で撮られた。

檀一雄の短編が原作になったからということも

あるが、斬新なるカットと

登場人物の歴史考証を越えた

ハイテンションな演出で進んでいく

物語を見せられたものは

戦争の最大の犠牲者は

いったい誰なのかという

問いかけだったのだ。

 

本来の戦争映画は

軍隊と戦場、もしくは

空襲と戦時下の不自由な生活が

クローズアップされるものだが

この作品にはいっさいそれが

出てこない。

日本が宣戦布告する前の

危ない方向に動きながらも

みんなが見て見ぬふりをした

世間様が作った「空気」を

青年たちの青春群像劇のかたちであぶり出そうと

したのだ。

 

男たちは戦場で駆り出されて死んでいく。

では女たちはどうする。

肺病に侵されて余命いくばくもない

少女美那(矢作穂香)は叔母(常盤貴子)に問いかける。

しかしその一方で

彼女に恋心を抱いた榊山俊彦(窪塚俊介が好演!)は

「卑怯者になりたくはない」と

なぜか授業を拒否して竹笛を吹く鵜飼(満島真之介)と

彼に拍手をおくる阿蘇柄本時生)や

足が不自由でも自由に生きようとふるまう

吉良(長塚圭史)とつきあい、ぶつかりあい

そのなかであきね(山崎紘菜)や千歳(門脇麦)と出会い

あくまでも

今を生きている楽しみを過ごしている。

 

では、どこから

戦争が入り込むのか?

それは美那が俊彦に話しかけた

中原中也の詩だった。

 

「茶色い戦争ありました」

「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

(『サーカス』より)

 

さりげなく、そして活気がみなぎった頃に

そっと戦争が入り込む。

有名な「唐津くんち」のお祭りさわぎと

軍歌・愛国行進曲との絡みの中で

気づかぬうちにすべてが一つの方向に

進む。誰にも止められない。

その抵抗にあるものが

美那の吐血と

その血をすべて受け止める叔母・圭子の

接吻にも似たまさに

「濃厚接触」というもの。

俊彦にはそれができない。

美那はいとこ同士だからだ。

 

「いけませんわ」

 

そこには鵜飼も美那を想う気持ちもあるが

どちらも開戦を前に命を終える。

闘うことが出来ないまま

死に向かってしまった。

そして、阿蘇も吉良もあきねも千歳も

みんな戦争で

その生が消えてしまった。

 

76年経ち生き残った

俊彦はだれも愛さぬまま晩年を迎え

あのとき過ごした唐津の家を訪ね

美那の墓へ行く。

血が流れているかに見える

その墓石を抱きしめ

「すまぬ」と泣く。

墓誌銘には、

昭和16年(1940年)12月8日

享年16歳と。

真珠湾攻撃が起きた日だった。

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「転校生」以外しか

大林作品しか見たのことのなかった私は

比較するものがないことを

恥ずかしく思ったが、

反戦の思いを

エンターテインメントにして

日常が突然に奪われることの

恐怖を追及しつづけたことは

十分に理解することが出来た。

そうなれば「海辺の映画館」は

どんな形であのころの歴史を

描こうとしていたのかが

とても気になるのだが

延期ではしかたがない。

しばらくは我慢するしかない。

 

謹んでお悔やみ申し上げます。

 

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