「外交官が綴った妻への手紙」にあった 日ソ”北方領土”交渉の舞台裏

新型コロナウイルス騒動の陰で、

すっかり棚上げされている

政治課題が「桜を見る会」以外にもたくさんある。

2月16日深夜(17日早朝)にTBSテレビで放送された

JNNドキュメンタリー・ザ・フォーカス

「外交官が綴った妻への手紙~ソ連からの”返還”交渉~」。

なぜ2島先行返還(歯舞群島色丹島)に

いまの政府がこだわるのか、

なぜ日本とソ連(当時、現在のロシア連邦)がいつまでも

平和条約が結ばれないのかが

よくわかる内容になったいた。

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都内の住宅から発見された古いかばんから出てきた

たくさんの国際郵便の手紙。

これが1956年の日ソ共同宣言の時に

全権大使として講和交渉にあたった

松本俊一が妻のトキさんに送り続けたものだった。

場所はロンドン、期間は1年5か月も続いた。

しかし家族にはそのことが

つい最近まで知ることはなかったという。

最初はソ連代表のマリク氏との話し合いが進んで

楽観的にいくかと思われたが

北方四島になると2か月以上も堂々巡りが続き

1955年6月から始まった手紙は

8月6日まで一時的に滞り

いいニュースを書きたいと思いながら

筆が重くなったことを詫びる文章があった。

その後の9日に歯舞・色丹島の引き渡しを示唆する

動きがソ連側から起こしたことで

このままでいけば

あと1か月くらいでまとまるかもしれないと

12日の手紙に記していた。

しかし外務省は返還をめぐって

その範囲は北方四島、さらに千島列島や南樺太(サハリン)

まで3つの段階を決めていたということがあり

結局松本氏からの返信は

四島返還のために交渉を引き延ばせということだった。

「日本のほうで欲を出してきて

 千島も欲しいといってるようですから

 まだひと踏ん張りせねばなりません。」

一方のソ連側は

アメリカにおける日本の影響力を弱めるために、

返還後の島に外国基地を設けないことのみに限り

交渉に応じるとして、2島返還を提案したとの

ロシアに残っていた公文書で明らかになっている。

アメリカは沖縄を日本に返還していないのを利用して

2島返還で日ソ関係の進展を日本の世論に引きつけさせようと

していたのだ。(神奈川大学・下斗米伸夫教授の解説)

しかしその時に重光葵外相(当時)が訪米し

ダレス国務大臣と会談し

その時に重光氏に対して

「日本側はよくやっていると思う。

 (中略)小さな譲歩をいくら与えても

 ソ連側からは何も得られるものはない。」

そして向こうは真剣に平和条約締結を欲しているのだから

譲歩する必要はないと重光氏の問いにそう答えたのだ。

「重光さんのアメリカ行きは

 日ソ交渉についても大失敗で困っています。

 (中略)歯舞、色丹の無防備などを言い始めました。

 鳩山内閣も危ないような気がします。」(同年9月7日の手紙)

その内容は保守合同による自由民主党の誕生、

その党是に「北方四島の返還」が盛り込まれたことを

知ったからであった。

そして翌年、再びロンドンへ発った松本は

2月8日の手紙では

交渉はもはや最後の段階になり

領土問題については、どうけりをつけるかということに

なっていまったと。

日本のほうは最後まで腹をくくれないから

(前年末に続いて)また交渉は中断になるかもしれないと。

3月10日の手紙ではもうやることはないけれど

東京では内政上の理由で譲歩をするな、しかし決裂をするなと言ってるから

「仲良くけんかせよというのと同じで、気は楽ですが

 ばかばかしいような気がします」と。

結局その後すぐに交渉は打ち切られて松本は帰国。

しかしマリク代表に対して

シベリア抑留者の引き上げ問題は何とかしろと

強く迫ったことを成果として強調。

これが日ソ共同宣言で生きることになるのだが、

領土交渉は重光外相が引き続きやっても

アメリカが「2島返還なら沖縄は返還しない」と

言い続けたため(ダレスの恫喝)

「四島返還」にこだわらざるを得なかったわけだが

実は政府はこれらの文書は一切公表しておらず

松本がトキ夫人に宛てた

1956年8月20日の手紙(重光氏に同行したとき)で

「全く泥仕合になってしまいました。」と

書いてあったことで

この事実が本当であることがわかったのだった。

前出の下斗米氏も「うわ~すごいものですね。これは。」

と手が震える資料だと。

米ソ間の緊張を知る貴重なものであることからだった。

最後は鳩山一郎首相(当時)が

直接交渉するなかで

松本氏とグロムイコ第一外務次官とで

共同宣言締結後に

引き続き領土交渉の継続を続けることを

書簡によって確認したことから、

現在もこの方向で返還交渉が続いているわけなのだが、

日本国民の大半は

2島返還についての意味が理解できないまま、

武力で四島を奪還すべきだと

酒の勢いで旧島民に絡んだお馬鹿議員(誰だかわかりますよね)が出たり、

そして鈴木宗男氏や佐藤優氏がなぜ

疑惑の渦に飲み込まれていったのかが

やっとそこで理解できるという感じだ。

しかし、当の安倍政権は

果たして2島でいくのか

4島にこだわるのかという態度ははっきりしないままだ。

私たち国民レベルも

北方領土問題は外交関係の歴史において

どれだけ理解し、今後において

どんな発想で臨むべきかが問われているのだ。

なにしろ今の霞が関

松本俊一のような骨のある外交官僚が存在しているのか

それさえもわからないのだから。

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