昔は急行、いまは高速バス

2月11日の東京新聞

「つながるオピニオン」面で

河北新報「声の広場」からの転載で

宮城県塩釜市の方からの投稿に

懐かしさを覚えた。

ご自身の持っている1976年3月の改正時刻表を

めくったら仙台から東北方面の各地へ

今は名もない急行列車が数多く走っていたことを

思い出したという。

盛(大船渡市)行き「むろね」と宮古行き「陸中」

秋田行き「たざわ」は仙台から一つで出る多層型列車で、

一ノ関で「むろね」を切り離し、

盛から来た盛岡行き「さかり」を連結。

さらに東北本線最速の「くりこま」

北上線経由秋田行き「きたかみ」もあり、

さらに陸羽東線経由羽後本荘行き「もがみ」は

新庄まで秋田行き「千秋」と連結。

仙山線経由米沢経由(米坂線)新潟行き「あさひ」は

新庄経由(陸羽西線)酒田行き「月山」が

山形まで連結されて、山形からは

鼠ヶ関(羽越本線)行きの「月山」が連結された。

そして福島方面は郡山・平(いわき)経由水戸行きの

「いわき」と喜多方・会津田島(現・会津鉄道)・会津川口只見線)行きの

「いなわしろ」の四方面行きが一つの列車として

郡山まで運行され、あとはバラバラになって

それぞれの方面(いなわしろは会津若松でさらに分割)に向かって行った。

当時は東北新幹線はなかったが

行先である地方都市は活況を呈して

日本海側と太平洋側を結ぶ定期の急行があったのは、

それだけの需要があったからと。

そして44年たったいまはそれらの定期列車はなくなり

一部の大都市に人が吸い寄せられ

地方が衰退するストロー現象が目立つ現況がここにある。

だからあのころの輝いていた時代を思うと結んでいた。

私も同意だ。

もっともこれらの急行列車に乗って

旅をしたいと思っていても

一人旅が出来るようになった頃には

新幹線が開業して、在来線の特急・急行が

殆どなくなってしまった。

その代わりに高速道路網が東北でも発達して

新たな長距離の路線バスが

仙台から青森・秋田・八戸・福島・山形など

主要都市を走るようになってしまったのだった。

まさに選手が交替してしまった。

そして投稿にもあったように

仙台以外の都市の地盤沈下が激しくなったような気がする。

1月28日には

山形唯一の百貨店だった「大沼」が

破産・閉鎖して

山形県からすべてのデパートが消えたとの

ニュースがあった。

新たな道路が敷かれて

自動車による移動には便利になっても

必ずしもそれが地域の発展につながるとは限らない

ということがわかってきた。

それでも鉄道は廃止や災害による不通などで受難が続き

高速道路の建設は止まらない。

この悪しき流れに歯止めをかけることは

出来ないのだろうか。

そうでなくても

デマによって

店にはマスクやトイレットペーパーが

消えてしまっている。

新型コロナウイルス騒動は

ふたたび悪い方で

多くの人間を動かしているのだから。

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山形新聞朝刊より)

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