沖縄本土復帰とサンマデモクラシー

沖縄がアメリカ統治から

本土復帰を果たす道のりとして

歴史的に語り伝えられるのが

「島ぐるみ運動」「コザ暴動」

そして瀬長亀次郎の存在が知られるところだが

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2月8日にテレビ朝日で見た

民教協スペシャルのドキュメンタリー

「サンマデモクラシー」(沖縄テレビ制作)で

新たな歴史的事実を知った。

那覇で魚の卸売りを営んでいた玉城ウシ(1900~1980年)が

サンマにかけられた輸入関税に根拠がないとして

琉球政府を相手に徴収された関税分の還付を求める

訴訟を起こした。

物品税法を定めた高等弁務官布令十七号(1958年公布)

にはサンマの文字はなかったためだ。

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(日本税務協会の「貿易と関税」2002年12月号にあった、島田雄一著。)

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この裁判は第一審も控訴審(被告である琉球政府による)も

ウシさんの勝訴で終わったが、

当時の沖縄は政府の布令によって事実上支配されていた状態で

上告棄却後、当時の高等弁務官キャラウェイ

これまで入っていなかった「サンマ」を新たな布令に入れたどころか、

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過去に渡って玉城ウシの関税徴収分を還付する義務は負わないとする

文言も入れたのだ。

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琉球政府の上に琉球列島アメリカ民政府、さらに高等弁務官が上にいて

 実質的な沖縄支配を担っていた。)

この結果ウシさんの闘いは実質的な敗北に終わったが

その後、琉球漁業株式会社が

この布令は無効であるという裁判を起こしたのだ。

(第2サンマ裁判)

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しかし、キャラウェイから変わったジョージ・ワトソン(二世)高等弁務官

沖縄ではなくアメリカの裁判所にこの訴訟を移送することを

決めたのである。

しかしこれに泣き寝入りすることなく

裁判権を沖縄に取り戻す闘いを

県民すべてを巻き込んで行われた。

その時瀬長はこの裁判の弁護を務めた

下里恵良と友情での関係を深めたと

回想録で残っているという。

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この下里はウシさんが裁判を起こそうと思う前に

1961年に立法院(いまの沖縄県議会にあたる)で

サンマに関税がかけられていることで

布令の不備をついたことが当時の新聞記事で

残っていた。

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まさに自分がこの問題を仕掛けて

ウシさんを立ち上がらせ、

そして弁護人にまでなったことで

アメリカ側による理不尽な圧力によって

苦行を強いられた瀬長とは別の形で

沖縄の本土復帰への動きを進めていった

功労者であったのだ。

この下里は当時、保守政界の大物(自民党の三役を務めた)であったことは

後の本土復帰後の

オール沖縄翁長雄志前知事にもつながるものがある。

「(闘牛より・玉城)ウシは横綱アメリカ・キャラウェイ)に立ち向かい

 その後ろで進軍ラッパを吹き鳴らしながら

 闘牛士として応援する(下里)恵良。

 したいひゃー!ヒヤッ!ヒヤッ!ヒヤッ!

 アメリカには負けないぞ!

 ウシ!チバリヨー!

 ヒヤッ!ヒヤッ!ヒヤッ!

 日本にも負けるなよー!」

(下里はラッパの愛称で親しまれた。)

うちなー噺家「志ぃさ~」さんの語り口で

進行していたこのドキュメントの一番最後には、

アメリカが常々言っていた

沖縄を民主主義のショーウィンドウにするとは、

世界中どこを探しても超レアな

アメリカファーストの民主主義が

沖縄のショーウィンドウに飾られていたということで、

「はぁ、権力者がよく口にする

 おばぁも一生に一度でいいから

 その本当の『民主主義』を味わってみたいね~

 ハハハ・・・贅沢だったかね~」

おあとがよろしいようで。

 

沖縄は本土復帰後も相変わらずアメリカに泣かされ続け

日本政府は全くあてにならない。

というより

琉球政府を通じて沖縄にあれこれやってきた

当時のアメリカのふるまいは

いまの安倍政権が国民に押し付ける

悪政とすべて一致している。

問題は私たち国民が

あのときの沖縄のように

怒りをぶつけてこの苦境を

変えることができるかどうかなのだ。

きょうもまた、

辺野古での抵抗は続いている。

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