千葉・勝浦と沖縄と 住民が動き「何かが変わった」

まず一つ。

千葉県勝浦市の「勝浦ホテル三日月」に

隔離されていた、中国・武漢市からの

帰国者たちの帰宅がおととい許可された。

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(13日付東京新聞朝刊社会面より)

「2週間ぶり『長かった』」「市民応援に『感動した』」

の見出しがあった通り、先月29日のチャーター便による

帰国から長い収容生活で

部屋から廊下にもでられない苦しい日々を強いられ、

ホテルの従業員の子どもがいじめに遭っているという報道を知って

「自分たちが何か悪いことをしているのではないか」と思った。

それでも周囲のサポートで次第に不安が解消したという

帰国者の声が記事にあった。

まだ別の帰国者からは

「温かいメッセージに本当に感動した。

 私たちの宝物。またお邪魔させてもらう。」との声も。

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以前のブログで書いた通り、

いきなり地元のホテルが帰国者の隔離先になったことで

詳しい説明が得られず、

不安だらけだった勝浦市の住民たちが

励ましの声をホテル前から贈りはじめたのだった。

8日に「砂浜アート」で

「まけるな!あと少し!」の砂文字が

部屋から見える大きさで海岸から刻まれた。

11日にはなんと3000本の

竹灯籠(たけどうろう)が

親子連れの住民約100名によって

ともされ、それに気づいた帰国者が

スマートフォンの明かりを左右に揺らして感謝の気持ちを伝えた。

さらに地元出身の演奏家による太鼓の演奏、

模造紙に貼り付けた地元の中学校からの応援メッセージ、

また子供向けの絵本や折り鶴などが贈られ

最後にはホテルの一室の窓から

「勝浦の皆さん ありがとう」の張り紙もあったという。

想定外の騒動の中で、

互いが心を通い合わせて

ともに不安を解消するために動いて

最後は新たな出会いと交流まで発展させた。

「何かが変わった」瞬間なのだ。

ある地元中学校の生徒は、最初は不安だったけど

いま思えば勝浦市が一つになり、

帰国者の皆さんの力になれたと思うと

すごくうれしいとの声が。

この経験はこれからの人生の糧になるだろうし

故郷に対する誇りが新たに生まれたと信じたい。

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さらにもう一つ。

連日書いている沖縄の辺野古基地建設の

軟弱地盤が海抜した70mからさらに深いことが

わかった問題で、

沖縄ドローンプロジェクトなどで

この問題を追及する市民団体が

12日に国会内で防衛省と会合を開いた。

しかし防衛省側は「業者が自主的に調査した。」

「簡易的な試験で設計に使えない」との

一点張りの同じ解答のみ。

これには同プロジェクトに関わっている元土木技術者の

北上田毅(つよし)さんが

「業者が勝手にやった試験なら、なぜ資料から

 削除しなかったのか」と鋭い質問。

これには防衛省側も

「報告書(の記載)を妨げるものではない。」との

苦しまぎれの答えに会場から失笑が漏れたそうだ。

そして粘土層が海抜下90mまで達している

「B27地点」(埋め立て地の東南端にあたる)の

再度のボーリング調査の要求に応じないと。

こちらは長年にわたって

様々な視点から辺野古海域に

巨大航空基地は建てられない環境を調べて

やっとのことで決定的な証拠を掴んだのだ。

だらしない政治家の替わりに

住民が動いて

国のゴリ押しに待ったをかける。

まさにこれも「何かが変わった」のだ。

この動きは勝浦市同様、

止まることがないよう継続するために

応援していきたい。

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