映画「さよならテレビ」を見た率直な感想

重々しい映画になるのだろうか。

現実の暗さばかりを見させられるのだろうか。

上映前はその不安ばかりだった。

しかし、始まってみると

その不安がすぐに消えてしまった。

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(見た後に購入したプログラムより)

地方局が独自に制作する地域密着のニュース番組。

熾烈な視聴率争いで他局の争いで最下位状態。

この苦境を打開するために

あの手この手を繰り広げても

思うようにいかない。

そして気が付けば、

本来大切にしなければいけない

ジャーナリズム精神がどこかに放置されてしまっている。

小学校から高校まで社会見学で

ニュースの在り方を教えても

ほんとうに自分たちは

その通りに仕事をやっているのだろうかという疑問。

そして働き方改革

逆に問われる自分たちの「労働」に対する姿勢。

そして人手が足りないからと「派遣」に頼り

進化が見られないからと

期間が切れるとあっさりと切り捨てられる現実。

それを「卒業」で片づけられていいのか?

共謀罪の成立を巡って地元でモデルケースといえる

地元で市民運動を起こした人物を

令状なしで拘束された現実を

深く掘り下げて企画ものにしても

見てくれる視聴者がいるのだろうか。

なにより強行採決の時

自分たちも「テロ等準備罪」と政府与党の言う通りに

報道した現実。

さらにあの震災のとき

「怪しいお米 セシウムさん」で

番組打ち切りに追い込まれた教訓が生かされているのか。

あの時以来8月4日になると全社集会が行われるが

制作の現場は

二度とこのような事故が起こらない体制が

本当に整っているだろうか?

現実にわずかなミスで匿名の人物の顔が

すこしながら映って

「また東海テレビが!」と

ネットで批難の嵐が。

さらなる不安が襲っていた。

 

そのような追い込まれたテレビの現実が突きつけられても、

その映像に暗さを感じなかったのはなぜだろうか。

それは制作に携わるテレビマンのすべてが

「本当に未来に悩みながらも

 目の前にある課題から逃げない姿勢」を

リアルタイムで見ることができたからかもしれない。

確かにテレビそのものは

60歳以上の高齢者しか

視聴習慣がなくなってきたのかもしれない。

しかしすぐに消えるメディアでもない。

いま起こっている現実はすぐに

明るい方向に動くわけではない。

しかし本当に絶望へと落ちていく

ギリギリのところで踏みとどまっている。

これを私たちがこの映画でみたことから

改めてテレビに求めているものを

考える。それが一番大切ではないだろうか。

 

最後に、

ありのままを見せてくれてありがとう。

知る権利はこの映画のためにこそあるのだ。

それを改めて問いかけてくれたのだから。

たとえ答えがすぐに見つからなくても。

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