成人の日の13日、
天気が良く気温もそれほど低くならなかったため、
前日の用事が終わった息抜きに
柏から東武野田線(アーバンパークラインという名はまだ馴染まない)
に久しぶりに乗る。
工事中のところを見て、
さらに宅地化が進む清水公園や七光台の風景に
驚きを感じて、春日部で下車。
ホームで名物のコロッケラーメン(610円)を
で草加へ。
車窓から何か歴史を感じさせる建物を見たので
駅から少し歩いて探してみたら
すぐに見つかった。
市立の歴史民俗資料館で
もとは草加小学校の西校舎だった建物だ。
1926年(大正15)9月に竣工。
関東大震災の教訓から耐震・耐火のために
鉄筋コンクリート造りを採用し
木造校舎の倍以上の費用をかけて建設された
埼玉県では初めての校舎だったとのこと。
その設計にあたった大川勇氏も
草加小学校の卒業生だった。
小学校の改築にともない
1983年(昭和58)年に
歴史民俗資料館になり、
2008年(平成20)には
国の登録有形文化財にもなった。
一階は古代から江戸時代までの
草加の歴史に関する資料の展示。
特に日光街道の宿場町として
この資料館の敷地に本陣があったことや
「奥の細道」に関する史料などが
目立っていた。
あとは近くの綾瀬川から出土された
縄文時代の丸木舟(全国で8例しかない)
も展示されていた。
上の写真は二階の教育資料室。
教室の風景をそのまま残していて
講演や集いなどができるようにもなっていた。
この資料室にあった
昭和30年代(1950~)のテレビ。
スピーカーからチャイムが鳴る以前に
使われた「予鈴」。
これを鳴らして授業の開始を告げた。
いまの学校では絶対に見られない「遺産」だ。
また、学校にちなんでこのようなコーナーも。
磁石を近づけて
どれが鉄鉱石かを探す体験学習。
けっこうおもしろかったが
高崎市の吉井郷土資料館からの寄贈品で
火打石も同じ。火起こし体験もできるのだが
さすがにそれはやめた。
草加市には戦前まで耐火レンガの工場があったことから
それで縁ができたということ。
もう一つ忘れてはいけないのは
「天国にいちばん近い島」で有名な
はじめてここの展示で知ったことだった。
お父様も豊田三郎という
昭和10~20年代に
純文学作品を数多く執筆して
行動主義文学運動で文壇を動かした
著名な作家だった。
ぶらぶら乗りつぶし歩きつぶしの旅で
思わぬ大発見があった一日だった。
せんべいを食べるのは忘れてしまったけれど。