2020年新年に思う あのヤギがいた場所から

倉庫と工場が並んでいるアスファルトだらけの

空間に、ヤギがいた。

市川塩浜駅前だった。

ヤギがのんびり草を食べながら

ゆっくりとそこにたたずんでいる。

そこに新鮮なものを感じて

通勤途中でちらっと見たりして

少しだけ癒しの気分に浸っていた。

一昨年の秋のこと。

年が明けた2019年には、

ヤギたちは里帰りして

きれいに整地されたあの空間は

工事が進められて

いまでは広場というものに変わった。

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でもそこにはヤギどころか

人がまったく寄り付かない

ただの空き地のような場所でしかない。

「人々が集う、賑やかな【まち】」

「自然と調和したやさしい【まち】」

「春夏秋冬たのしい【まち】」

と工事看板に書かれていたが

ここは職場や目的地に行くために

通過するだけの空間であって

ここに立ち止まるためには

そのための「何か」がなければいけないのに

その「何か」をつくろうとしていない。

そしてただ通過するだけの私もまた

「何か」をつくるゆとりもないまま

この広場のようなものを見ているだけ。

あの渋谷駅前の

スクランブル交差点のように

ただの通過点にすぎない場所に

誰もかれもが吸い込まれるように

人間たちが集まってくるのとは

対照的なのだ。

 

去年は

何かのために集う機会はたくさんあった。

ラグビーW杯といい、

国会前といい、

松戸のはるかぜと

東京(杉並)の自由な風の歌の

合唱コンサートといい、

そして相次ぐ台風と豪雨被害を知り

改めて防災と備えを確実なものに

するためになど。

(わずかながら災害ボランティアで倉敷にも行った。)

でも「何か」がないと

その場所に足を運ぶことが出来ない。

それ以外の場所にいても

なにも感じず、

ただ時間の無駄遣いのように思える

この日常とは。

 

有意義な人生を送るために

絶えずあらゆるものを積極的に飲み込んで

前向きに未来に挑むことは悪くない。

でも時にはあの広場のような場所のまんなかにいて

ただ何も考えずに

そこにただ流れる空気をそっと受け止めて

そんな時間をすごすことも

悪くないと思えることが

できないだろうか。

 

ことしは東京五輪パラリンピックも)の年に

なるだろうし、

憲法の今後にかかわる重大なことも

起きるかもしれない、

そしてまた大きな気象の異常変化(地震も含めて)が

襲ってくるかも。

だからこそ

この慌ただしくなるばかりの日々と時間に

流されるばかりではなく、

「何もしなくてもいい時間」を大切に

出来る2020年にしたいと思う。

そうしないと窮屈な場所に

自分を追い込むことに

なり兼ねないからだ。

あのヤギさんたちは元気だろうか。

いまとても愛おしくなる。

 

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

2019年 元旦。

 

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