続・カレンダー


原発いらないふくしまカレンダー2018」の後ろには昨日転載した小島力さんの詩の他に、
2017年9月に『まなぶ』(労働大学出版センター発行)725号に載った「はるえ」さんの手記もあった。
東日本大震災の6年前、Iターンで矢祭町(第一原発から80㎞)で暮らし始め
家族の夢であった家付きの素敵な土地をいわき市(第一原発から34㎞)に見つけ、2011年4月から新生活を送るための
引っ越し作業を進めている最中に原発事故が起きた。
3月14日に行き場を失ったような思いで矢祭町を家族全員で離れた避難先は高知県
さらに岡山県と避難生活を送り続けている。
現地で手すき和紙の仕事を続けながら地元の関わりを広げようとした夫は仕事のみならず希望を失い
避難先の緊急雇用や主夫などを経て農業研修の道へ。
「はるえ」さんも家計を支えるために訪問看護ステーションで働いているという。
東京電力が差し出した賠償金は2度の引っ越し費用に満たないものであるうえに
日々の家計、避難先の言葉や事故に対して他人事に見ていないまわりの空気に
「重苦しい鉛のような思いを、どんどん身体の奥深くに溜め込んでいく」状況が続いている状態。
放射能汚染という人災でおこる奇怪な物質に囲まれて暮らさなければならない不安から
逃れるためにたどり着いた場所。それは「一瞬に断ち切られ、宙ぶらりんの状態で、傷ついた心のやり場もなく、どうにかたどり着いた場所」
でしたないということ。
これから起こることで、すべての被災者(自主避難者と呼ばれることになる)とそうではない人との様々な格差と向かいながらも
「心にぽっかりと開いた傷口がゆっくりとふさがり」(避難地の)そこの場所での住人である自覚がもてるようになることを切実に
願うと最後に綴った「はるえ」さんも原発再稼働に反対し
そして自分たちは原発事故なんてなかったことにしようとするための棄民であるという思いも強くしているという。
今年もまた原発訴訟と脱原発を訴える声は止まらない。