「黒いダイヤは見ていた」で見た「差別」を克服する方法

4日の深夜(5日0時)に再放送されていた

NHKEテレETV特集

「黒いダイヤは見ていた~三池炭鉱・与論からの移住120年~」

を見て、差別と向かい合うことと

その歴史から何を学び、何を克服すべきかを

考えさせられた。

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写真の富永恋紅葉(くれは)さんの通う

鹿児島の与論中学校は

ことしの修学旅行で

福岡県大牟田市の与州奥都城(よしゅうおくつき)

を訪ねた。

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ここには地元・与論島から

三池炭鉱へ移住した労働者とその家族を祭る

場所だった。

いまでは与論島でもその歴史を知る者がいなくなったという。

その理由として

「ごんぞう」という石炭を運搬船に載せる

過酷な作業を課せられながらも

その地位や待遇は極めて最悪で、

そして本土の人間(与論島の放言でタビンチュ)から、

その身なりや日常から常に

ユンナンチュは「ヨーロン、ヨーロン」と差別された歴史が

あったからだ。

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2代目大牟田・荒尾(熊本)地区与論会会長の

西脇仲川さんは後輩たちにその歴史を

赤裸々に話すなといったそうだ。

差別をうけた歴史を語ることは

子や孫に劣等感を植え付けると

思ったからだ。

しかし10代目の会長の町譲二さんは

12年前に地元・大牟田の大蛇山まつりの

総踊りに与論会ぐるみで参加するなど

タビンチュとの壁を自ら取り払うことに

積極的になった。

「心の中(の私)では言わなかったけど

 おじちゃん、おばちゃん、

 ゆうたんちゃ。話す言葉を聞いたら

 アクセントでわかるや ユンヌンチュって

 思うとるけど言うたことないでって」

ならば自分の故郷(ルーツ)の良いところを

伝えていこうと。

また、同じ与論出身の川端タカシさんの

「黒いダイヤの涙」の歌を

中学生たちは事前に練習して

与論会の人々の前で合唱し、拍手を受けた。

与論の移住者の歴史は

戦争や、労働争議、そして炭じん爆破事故などの

苦難や混乱に遭遇しながらも

一つになって乗り切ってきた歴史があったからだ。

この修学旅行を終えて

恋紅葉さんは、暗いだけの歴史ではなかった

三池の移住について

もっと島の人に知ってもらいたいと語り

父・武治さんも

大牟田に関するイメージが変わったと感想も。

マイナスばかりが多かった歴史でも

しっかりとそれらの事実と

向かい合うことで

島の出身者が自らの誇りやアイデンティティ

つくったプラスの歴史があったのを

見つけることが出来る。

ここから差別を克服する方法があるのではないかと

私はそう感じた。

「ミッシーク トォートゥガナシ」

 (どうもありがとうございました。)

沖縄や朝鮮(韓国)でもこのような形で

差別やヘイトを克服することができないだろうか、

それは難しいことなのだろうか。

今後の課題になるかもしれない。

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