(プログラムより)
日曜日に参加した合唱などのコンサートについて
もう一言。第一部では主に
バルトーク・ベラ(1881~1945)が
手掛けた曲が演奏された。
3つの国境に面した辺境の地に生まれ育ったが
幼少時はドイツ語・ドイツ音楽に支配される生活を送り
ハンガリーの敵国になってしまったことから
自らの故郷が「外国」「敵国」になった苦しみを受けた。
そして発表したあとに曲の名前を変えないと
非国民だと言われる中で
変えることなく貫いたのが
「ルーマニア民族舞曲」だったという。(1915年)
そしてバルトークは1940年に
ナチスドイツに抗議文を提出。
ユニバーサル出版社との契約を破棄。
年老いた母親を残しアメリカへ亡命。
その前に、故郷の農村を回って交流した人々の
大地に根ざして生きる人々の曲として
つくられたのが「コントラスト」だった。(1938年)
これらの曲を聴いて思ったことは
独創的というよりは
単純な旋律の中に何か人々の足音を感じさせる
すなわちここに生きる人がいる。
それも強烈な存在感ではなくて
普通の暮らしの中の風景に
なにげなく存在する存在を大切に
音で描いている感触があった。
まさに国家主義の入り込むことがない
自由の息吹きを思わせる曲だった。
そこで崔善愛先生の話が入る。
「バルトークがこの曲をつくるときに
トスカニーニ(1867~1957)もある行動を起こしました。
ファシスト党にたいして、イタリア国旗のもとで指揮せず
イタリア国歌を演奏しないと宣言したことです。」
言論・表現の自由を求める闘いは
長い歴史の中で大きな広がりを見せて
いまではそれが当たり前のようになったと
思っている人が日本では多くなっている。
しかしその歴史を風化させたり
忘れたりすれば、その自由が再び脅かされること
も忘れてはいけないが、
あいちトリエンナーレ「言論の不自由展・その後」
では、まさに自由を破壊する行為で
一時中止に追い込まれてしまった。
昨日、再開されたのは良かったが
妨害行為を7分間もやったというニュースもあった。
もう市長をお辞めになられたほうがいい。
ただの人になれば警官につまみ出されて
それでおしまいになるのだから。