ゴジラと日本国憲法の関係の変遷について(4)

(承前)映画「ゴジラ」は大怪獣が

東京などで大暴れをして、それに対して

人間側がいかに駆除をするのか。そして

この怪獣を生み出したもの、そしてこれは

社会にいかなる警告をもたらすものなのかが

テーマとしてイメージされる。まだそれだけではなく

日本国憲法戦後民主主義が、物語の結論を導きだす鍵になっていると

ゴジラが伝える日本国憲法の意義~平和・反核・民主主義~」

で伊藤宏氏(和歌山信愛女子短大教授)は指摘しているが、

2016年に公開された、第16作「シン・ゴジラ」は

憲法の意義よりも国家の危機管理が協調された作品となっている。

そして反核・民主主義よりも、

有事法制核兵器保有の是非が一つのテーマになった感がある。

伊藤氏によれば、ポスターに書かれた「この今を、未来を、守る」

に気になったようで、実際に見てみると

「映画的な面白さはさておき、その内容を第1作と比較した場合、

 強い違和感を覚えてしまう。」と感想を述べた上で

第1作から描かれた世界とシン・ゴジラが描く世界には

大きな隔たりが感じられたと。

それが何なのかを憲法の目指す世界と対比しつつ検証を試みることが

上記の論文を書くきっかけになったと伊藤氏は述べているが、

ポイントは3つあるようだ。

まず、この写真から

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これまでのシリーズではなかった

防衛出動と「想定の範囲外」とされる巨大不明生物に対する

情報の収集、駆除または保護についてどうするのか

またこれに関してどの省庁が管轄するのか、

現実政治の実態をシニカルに描く場面があると指摘しているが

もうこの時点で憲法の精神が全くこの物語に入ってこない。

もっとも「怪獣との闘い」を前提にするならば当然だということだが、

伊藤氏はそこから第1作との大きな違いを感じたようだ。

シン・ゴジラがこれまでになかった形態の変化(第2形態が「蒲田くん」とよばれた)

や幾度も出現して断続的な被害を与えた点では、

戦争というより巨大災害だったと伊藤氏は指摘しているが

つぎの写真から。

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内閣官房副長官の矢口(主人公格)と内閣危機監の郡山、

そして大河内首相がゴジラ自衛隊の駆除作戦を物ともせず

都内に侵入してくることで

立川の予備(防災)施設に内閣機能を退避することを巡って

議論を交わすシーン。

伊藤氏は「国民を守る」ことを優先させてきた

以前までの作品と違い、シン・ゴジラ

「少なくても東京都民の多くは除外されている」と

この点に言及。災害であっても戦争であっても

国家の危機に直面したときは

一時避難可能な場所に避難するのは当たり前だと

いう意識が国民世論に定着した時代だからこそ、

そのストーリーが一番受け入れられるということだろうが、

逆に「戦争は回避できる。戦争は人災だからだ」という

絶対的な真理を無視したことで、さらに憲法の精神が

この映画から消えてしまっている感もある。

実は、1971年の第11作「ゴジラ対へドラ」が

公害問題を正面から取り上げた異色作と紹介し、

国民の多くの不満の声に応える形で

政府が工場の全面停止と市街地の自動車全面使用停止を決定した

とニュースを伝えるシーンがあったことから、

「国家や経済よりも国民が優先されるというのが、

 ごく当たり前のこととして描かれていたのだ。」

と伊藤氏が指摘。これは東日本大震災以降の

防災政策にシンクロしたところがあるが、

シン・ゴジラの場合は、逆に有事体制が

「戦争」と「災害」がごっちゃになって混乱したのか

それともいまの国がそういう風だから

わざとそういう演出にしたのか、そこは私も首をかしげるところだ。

そしてこの写真から

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米軍の攻撃も効果がなく、大河内首相はじめ首相臨時代理5名らが

命を落とし、ゴジラが東京駅付近でその活動を停止したが

今後は無生殖による個体増殖から飛翔体(北朝鮮ミサイル?)

になる可能性が明らかになる、それに対抗するために

国連安全保障理事会多国籍軍の結成が決議、

その要件に、日本の参加と東京における核兵器の使用を容認する点もあり

そこで矢口と防衛大臣・赤坂龍子の会話となるのだが

「第1作での反核の決意も、第16作での非核三原則の遵守も

 一切語られていない。」(論文より)

危機管理こそがこの日本の最大の課題だから、

日本国憲法が完全に無視される結末になったわけだが、

総監督の庵野秀明氏が、

「完成度と素晴らしさは最初のゴジラに集約している。

 あの面白さ、あの衝撃にわずかでも近づけたいと思ったら、

 同じようなことをやることしかない。」と。

しかし、怪獣打倒(巨大不明生物という言葉にこだわっているが)

に傾倒するあまり、肝心のゴジラとはいったい何なのか、

あの戦後の平和な時代になぜこんな恐怖が生まれたのか、

その疑問と考察が疎かになってしまったといえる。

それでも圧倒的にシン・ゴジラは高い人気と絶賛の声を

集めてしまったのもまた事実である。(つづく)

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 (追記)

庵野氏のコメントは

シン・ゴジラ現代に急襲」(東京新聞2016年7月28日付18面)より。

www.tokyo-np.co.jp

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