新聞うずみ火沖縄ツアー(1)

雨にたたられるのでは、そう思った。

6月21日から23日まで。新聞うずみ火の

「沖縄慰霊の集い」を兼ねた旅行の日程は

いつも晴の天気だが事前の天気予報は沖縄は悪天候だと。

覚悟を決めて、21日は羽田空港を6時20分の便で出発。

すると那覇空港では雨が止んでわずかに

日が差してきた。これは幸運だった。

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空港から外へ出るとさすがに蒸し暑い。

ゆいレール沖縄都市モノレール)で終点の首里駅まで行き、

少々道に迷いながらも「儀保まんじゅう」へ。

地元でなければ手に入らない、赤い「の」の字が書いてある

まんじゅうを差し入れにしたからだった。

家族にもクール宅急便で発送を頼む。

さすがに発送料は8個入りで1600円は高かったが

やむを得ない。差し入れ分は6個で900円。

そして空港へとんぼ返り。この日は6時に行われる

講演会までフリータイムのため、空いてる時間を利用して

同じ読者のNさんの

知り合いに会いに行くことを約束したからだった。

昼食は別の読者の方と「空港食堂」で

フーチャンプル定食を。600円、もともと空港関係者の

ための店だけあって安くてうまい。でも今では

乗ったJALの機内で配られたクーポン誌でも

おすすめの店で紹介されるようになった。

食べ終えてNさんと合流。すぐにタクシーを拾って

目指すは今帰仁村。運転手さんは75歳のおじいだが

「仕事を続けるために終わったら1時間ほど歩くんですよ。

 あと懸垂10回以上。こうやって体をのばすんですよ。」

亡くなったご両親の土地を相続したときに税金が800万も

かかり、新築する予定がリフォームに変更したが

それでも230万をさらにつぎ込まざるを得なかったという。

だからこれからも働き続けますよと。

免許の自主返納など一切関係なしというわけだ。

「2・3日前のことは忘れていても返還から6年かかった

 (本土と同じ)人は右、車は左に変わった瞬間を今でも

 覚えていますよ。あのときは(1978年7月30日)

 今でも覚えていますよ。雨で土砂降りの日だった。

 道路標識も替えなければいけないし、

 いままでマイルの単位だったのをメートルに変えなければ

 いけないでしょ。」

 ここにも知られざる沖縄の歴史があった。

 今帰仁にあるMさんの家は風通しがよく

 扇風機でも涼しく、理想の住まいそのものだった。

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Mさんの家は小道を降りた左にある

MさんはNさんのご亭主の知り合いのことだが、初対面とあって

これまでのお付き合いのこと、そして自己紹介から様々な話に

発展した。私の母校が國學院大學であることから

神道の話になって「神話と天皇は科学的に説明できないところが

ありますね」と。確かにそれを日本人が認めているところがある、

そう言ったら「そこに考えが及ばないとはおかしいですね。」

また、自分の仕事について詳しく話をしたところ

「そこから始めてみたら良いのです。」つまり

あるがままを認めるより、思慮をここから初めて見たら

良いのだと。疑問を持ったり矛盾を感じたりすることは

不自然ではないから考えて自分の出来ることから

やってみたら良いのだと。堅苦しくなく

自分の心にスッポリとはまる話だった。

また、風水のことまで話が発展して

「あれは遊びの要素がありますね。ちょっとこれをみてください。」

ふと見てみると易の八卦が描かれた立て札のようなものがあった。

「乾=天、坤=地、震=雷、巽=風、坎=水、離=火、艮=山、兌=沢」

を意味した小さい文字も書かれていて、

「これだって遊びなんですよ」。

占いもそこから始まったものというわけだ。

それでもその近くにあった本棚には

沖縄に関する歴史書ルポルタージュから中国語の辞典や

朝鮮語日本語教育の本、そして沖縄県史なども。

まさに理想だなと思っていたら

認知症予防のためにパソコンを動かしているようなもの。

 でもUSBは(記憶容量が)すごいですね。」

もっとも私は会話よりもMさんご夫婦によるご馳走に舌鼓を打つばかりだった。

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新鮮なやぎ刺し。独特のにおいはなく味わいが十分。

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Mさんの奥様による手料理が最後に。

さらにお酒も。オリオンビールの他にこの逸品を。

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44度の泡盛だった。

度数が強いからストレートで飲むと

舌先から蒸発する感じがしたが、まろやかな味と香りには

ただすばらしさを。全く飲めないNさんも

瓶から香りをかいだら「きついアルコール臭がない、いい香りだ。」

と。まるで食レポみたいになったがただただ感謝ばかり。

仕事の忙しさや時間に追われる日々を忘れる

ゆったりな時間を過ごさせてもらった。

もっとも参加予定の講演会をキャンセルして

那覇に戻ったのは夜10時過ぎ。宿にチェックインして

近くの天然温泉「りっかりっか湯」に入り、戻った後も

あの泡盛の余韻に酔いしれて他の酒を飲む気になれず

そのまま就寝。まあ勢いにまかせて飲んでいたら

まともに戻れなかっただろうが。

「今度行く時はMさん家に泊まる覚悟でね。」

朝まで話をしまくって。確かにそれがいいなと感じた

旅の贅沢だった。Mさんは元公務員で定年となり

悠々自適の身だそうだが、なにか哲学者の

雰囲気がある人だった。(この項つづく)

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