国の放射性物質による甲状腺内部被ばくに関する避難者測定文書が
始めから「健康上問題はない」という結論ありきに基づいたものである
ことをさらに明らかにしている証拠を固めていた。
経産省の官僚を中心に固められていた特命班である「原子力被災者生活支援
チーム」にいた渕上義弘氏は「(放射線被害が)分かりませんと言い続けるのは
無責任という話があって、
避難者の方々の不安を解消するため、ひどいことになってないと
伝えようと」当時、国が調べた「(福島第一原発)から30km圏外に避難した被災者」
1080人の測定データを基に文書を作ったと取材に答えたという。
しかし事故から1か月弱で、
特命班を設けて関係官庁による非公式の打ち合わせや本会合を早めさせて
この文書をまとめたのには
「経産省の技術系のトップみたいな人の命を受けた」と渕上が述べていたと
いう。本人は国の測定データで十分評価できるように判断できたと思うと
弁解しているが福島県が独自に調べた測定結果は「調べた機器が違うから」
と切り捨て、結局原発から20km圏内に避難した被災者は測定の範囲外
としてカウントしていなかった。
あったということを行政の当事者が認めたようなものだ。
記事ではさらに、放射線医学総合研究所(放医研)OB
で弘前大教授の床次真司教授が事故から約一か月後の4月11~16日、
高精度の機器スぺクトロメータで測定したところ
甲状腺被ばくが最大で33ミリシーベルトも出た人がいたと書いている。
放射性ヨウ素の半減期は甲状腺に取り込まれてからだいたい8日、約2週間
が測定できるギリギリだと国が測定の取りまとめを急がせた理由と言ってるが
これを覆すことになるのではないか。
放医研の被ばく線量評価部長の山田裕司氏この機器の存在を認め、
さらに2008年2月の原子力安全委員会の会合で
事故が起きたらスぺクトロメータを使うべきだと言ってきたのだが
国が使ったのはNalサーべイメータだった。
東京新聞が特報面でこの問題を取り上げて以来
放医研の関係者から複数の内部告発が寄せられたそうだが
結局は国の出先機関であるために中央官庁から出向してきた幹部
の機嫌を損ねたくないために、余計なことをするなと
事故が起きてから独自の測定データを採ることができなかったということだ。
国の文書が示された2011年4月8日の会合のメンバーには事故直後
放医研ではナンバー2である明石真言氏(緊急被ばく医療研究センター長)も
取材に対して渕上氏とほぼ同じことをいってたとのことこと。
しかし、前述の関係者は、周囲から言わされたのではないかと。
どちらにしても、もっとも信用できる測定データを集めなかった
当時の政府はまさに悪夢を福島の被災者に与えたことのなったが、
発言の中でそれには一切触れていなかった。
その通り、放医研があの時まともな仕事をやらせてもらえず、
その後に福島県の独自の測定を算出した上で
100ミリシーベルトの被ばく少女の存在を後で文書に残して
も一切無視を決め込んだのは
民主党政権の前後の自公連立政権だからなのだ。