「在日」「朝鮮人」差別と向かい合い、乗り越える心を

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きのう一日中、この本に釘つけになった。

8日に矯風会館の古本コーナーで買った、
車潤順(チャ・ユンスン)著「不死鳥のうた」(1977年日本語版・小峯書店)だ。
この物語は第2次世界大戦中から戦後直後に至る
ある在日韓国人少女が自分と同じ在日の青年や、朝鮮をよく知る青年医師との出会い
によって自らの心を成長させる自伝的小説で、小学校時代に住んでいた
岐阜県長良川流域のとある町(北濃や油坂が出てくるから美濃白鳥あたりか?)が舞台になっている。
戦局の激しい中で、労働力不足で朝鮮から日本の工事現場に来た一人の青年が、
陸軍で将軍の階級までについていた祖父をもつ自分の同級生・真理子の名前を知っていた。
これはなぜなのか?学徒動員で負傷した親友を助けてくれと懇願した医師は
自分が在日であることを告げた途端「なつかしい、私は日本人ですが誰よりも朝鮮を理解し、朝鮮を愛している人間です。」
少女・美枝子はこの医師とやがて心を通わせるようになったが、心ない同級生の仕業で学校を自主退学に追い込まれた。
しかし医師・沢崎のもとで見習い看護婦として働くことで絶望から辛うじて逃れることが出来た。
そして心ない同級生の姉が許嫁の戦死で、「一人の在日青年」呉本英俊を許嫁と勘違いするようになったことから
美枝子と呉本は互いをよく知るようになり、そこから
真理子と祖父である将軍、そして沢崎医師と呉本とは
知られてはいけなかった「親族のつながり」があり
それが真理子の母と沢崎の父(将軍の弟)の心と体に大きな苦しみを与えた。
そして立派な家柄に生まれたと思いこんでいた真理子は、
呉本の兄、すなわち朝鮮人の父と日本人の母から生まれた子だったのだ。
朝鮮が日本統治時代で
日本人が朝鮮人を差別することが当たり前とされていた時代のなかで、
主人公である美枝子もまた差別を憎むと同時に
自分は両親が日本に来てから生まれてきた子供ゆえに
朝鮮人が当たり前のように過ごしてきたことにも
恥ずかしさと侮蔑感をも持ちながらも
「自分は朝鮮人である」とのレッテルから逃げることも許されなかった。
しかし、沢崎と呉本の出会いは
自分の全てを否定しかねない美枝子の心を癒し、そして
清らかな心を持つ努力をしようとする気持ちをも持たせた。
理不尽な差別めいた行為を受けても
「自分を信じ、守り、愛してくれる人が家族以外にもいる。」
ことが美枝子に生きる勇気をもたせ、また呉本が「自分が信じる」キリストの話をしたことで
信仰への希望をももつことが出来たのだ。
戦争が終わり、朝鮮が事実上解放され
美枝子は「柳栄淑」に。呉本は「呉英俊」と朝鮮名に戻ることが出来た。
しかし、


自分の仕事だったトンネル工事を完成させようとする呉本に対し、
仕事仲間だった同じ在日たちが裏切り者として重傷を負わせ、
さらに呉本と真理子の生い立ちを認めた将軍が屋敷に火を放ち、
真理子の母と沢崎の父を道連れに自殺するなど、
時代の暗転がもたらした悲劇が美枝子を襲う。
しかし、決して時代や権力や階級のせいにして憎しみのもとに生きるのではなく、
あらゆる運命を受け入れても自分を想う人々を大切にして
「日本を愛する者は、韓国(朝鮮)を愛さずにはいられない。」
「韓国(朝鮮)を愛するものは、日本を愛せずにはいられない。」
と、沢崎、呉本、そして美枝子と真理子が心に誓う形でこの物語は終わる。
 
最近、竹島尖閣など隣の国に対する憎悪と不信感が
マスコミの話題にならない日がない。それに乗せられた「世論」が
さらに憎しみの連鎖をまき散らし取り返しのつかない情勢を造り出している。
こんな状況で「友好が大切」といったら「非国民」扱いされる世の中でも敢えて言う。
一番大切にされているのは、互いのことを理解しあい、ふれあい、
「本当に憎むべきものは、汚れた道へと走る私たち自身。」に気がつくことではないのか。
それにもっと早く気が付いていれば、国家同士がつまらぬ対立を
起こさずに済むものなのだが、下々に生きる私たちがその気持ちを
忘れないようにしたい。忘れたら「悲劇の主人公」になるのは
国家ではなく私たち自身なのだから。

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11月9日のブログ

http://d.hatena.ne.jp/shiraike/20101109/1289270573
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