大阪・宮崎・長崎への旅(1)

7月30日に宮崎県は口蹄疫に関する非常事態宣言を解除した。
口蹄疫の被害を受けた現場をこの目で見たい。」
大阪(7月31日の新聞うずみ火)と長崎(8月3日のピーススフィア貝の火運動)の合間をどうするかを
考えていたが、ここに宮崎を入れようとスケジュールを入れて
さすがに宮崎県内は全部回りきれることは出来ないので、
ニュースなどで何度も取り上げられた「川南町」を見てくることにした。
最初は飛行機で大阪から宮崎に入って、そこから川南町へ入ろうと思ったが
8月1日の朝は予想以上に早く起きられたのと
「飛行機嫌い」の虫が出てきたので、大阪を新幹線で早く出て
日豊本線を乗り継いで宮崎へと変更。

(途中通過した広島のスタジアム風景)
小倉でソニック大分行きで乗り換えたが、その時に写した祭りのポスターと長澤まさみの看板。

長澤まさみJR西日本のCMをかなり長くやっているが、東日本の人はどれだけ知っているだろうか。
朝食は日豊線ホームで食べたごぼう天うどん450円。かしわ肉のそぼろがたくさん入っていてうまかった。
青いソニックに乗ったのは久しぶりだが軽快に大分まで走りぬいた。

大分に到着後何か弁当はないかと探し回った結果、
見つけたのは豊後あじ寿司650円。あじとシャリの間には、しそとわさびがはさんであって
そわやかな味わいだった。

さて宮崎から「にちりん」に乗り換えたが、到着が4分近く遅れて(この便は別府発)、
隣のホームには博多からのソニックのサボに「宮崎空港(大分経由)」と書いてあったので
「この列車のほうが先になるのでは?」と思ったが、
赤い485系の「にちりん」が登場して出発。車内販売はなし。弁当と飲み物を買って良かった。

車内は改造されていて多少きれいになっているが、

客席とデッキとの扉は手動になっているのには「国鉄型」車両を感じさせる。
列車はゆっくりと宮崎へと進み、
途中駅の佐伯のホームでは地元出身の漫画家富永一朗さんのミニギャラリーがあり
2枚の原画が展示されていた。

そして佐伯をすぎてから、県境を越える宗太郎峠(サミット)に差し掛かって
途中重岡駅運転停車

EF81の引く貨物列車も停車していて、ここで上りの「にちりん」と交換する。
http://d.hatena.ne.jp/shiraike/20100804
にちりんの交換を動画で見届けた後、峠を下っている間に眠ってしまい
目が覚めたら延岡に着いていた。ここで乗降客が多くなった。
延岡―宮崎間は「ひゅうが」という特急も走っているが、なるほどと思える。
やはり県境は客が少なくなるものだ。(普通列車も極端に少ない)
美々津では国鉄色のにちりんと交換する。
その後都農までの旧リニア実験線をみたが、都農寄りでは
ソーラーパネルが高架橋にとりつけてあって、JR九州の関連事業だとの看板が出ていた。
使われなくなった実験線の有効活用というわけか。
事前にホームページで調べた佐土原駅川南駅にもバスにも近いことから)に降りたのは午後2時9分。

しかし駅前で調べなおしてみると、バスの時刻の時間がかなり空いている上に、そのバスも高鍋で乗り換えが必要とわかり、
JRで高鍋まで行ったほうが良い(川南へ行く普通列車は1時間後)ということもあって
高鍋まで行って、川南まで歩こう。」という無謀な決断をしてしまった。
そして特急にちりんにまた乗って高鍋に。

タクシーにしようかなと考えたが、駅前の看板に「トロントロン10分」というのを見つけて
「これなら楽勝じゃん!」と思い、川南まで歩きはじめたが
この10分は徒歩ではなく車で10分だということがその時は分からなかった。
駅前通りから国道10号線に入り、川をこえて坂を上っても川南町の看板が見えない。
やがて川南まで5キロ(宮崎県農業大学校)もかかることがわかったときには
もう後戻りができなくなった。
登坂車線が入り、峠のような道を登り汗だくで重いリュックを背負い
景色といえば早場米の収穫を控えた田んぼと林ばかり。
清流と川を見かけた時は思わず「この水の中に飛び込みたい!」という衝動が全身を覆ってしまったほどだった。
やがて茶畑が見えてきたところに
川南町のカントリーサインを見た。

(つづく)