松戸市役所の「移転建て替え」はまだ本決まりではないらしいので!

7月10日投開票の参議院選挙は

自民公明の与党が勝つとかいう噂が

マスコミの世論調査を中心に流れているようだが

要するに盛り上がりがないから

そういうふうになっているのだ。(しかも意図的に)

だからこうなっている感じだ。

そして、松戸市ではハチャメチャな市長選挙が終わってから

すっかり関心が薄れてしまっているのが

市役所の建て替え問題だ。

この問題できのう28日に

市議会の公共施設再編検討特別委員会が

緊急で召集され、委員の中からも

「聞いてないよー(増田かおる市議・ツイッターより)」の声が出たが

委員の大塚けんじ市議が自らのブログで

この議事の内容(要約)をいち早く公開してくれた。

ameblo.jp

複数の委員から

同委員会へ報告をせず、21日付で

国へ旧法務省合同庁舎と同職員宿舎の跡地(以下新拠点と略)の

取得等要望書を提出したのはなぜかという質問が

あったが、新拠点ゾーンの担当課長は

事後報告についてお詫びをした上で

今後は「移転(新拠点)」と「現地」の建て替えに関する

比較表をきちんと出した上で

「仮に変更になれば、目的変更しなければなりません。

 違う建物、用途が変わった場合、

 財務省と協議してみなければわかりません。

 執行権の範囲内だと考えます。

 新拠点と現地建替えと2案をフラットと考えて、

 皆様にはご認識していただきたいと思います。」

これについて大塚委員は

「以前のような曖昧な設計ではなく、

 きちんとした比較表を作成し、

 私たち委員会へ説明するということ」を要望したことについて

新拠点担当課長は

「総事業費や面積をはじめ、しっかりと比較表を作成します」と回答。

中川英孝委員は

特に気になるのは総事業費だとして、

もし比較検討した結果、議会が「現地建て替え」と結論を出した場合は

市はそれに従うことでよろしいかと質問したら

なぜか「街づくり部」の理事が答弁に立ち

9月の定例会が重要な議論になるとした上で

「否決になるものをわざわざ議案として出しません。

 十分に精査しまして、できるだけ早い時期に比較表を提示させていただきます。」

と、なにやら「移転」へ動かそうとしているような

微妙な発言をしたということ。

最後に副市長は財務省側のルールとして、

土地取得要望書を提出する条件は

公共利用優先が一般原則となっていて

何でもいいよというわけではなく、

(当たり前じゃないか!)

事業の必要性などの審査項目があって

審査した上で、処分先が決定するというルールとなっているから

今年度に契約が成立しないと取得が遅れるというが

「特別委員会の意見を最大限に尊重します。

 今回のもの(契約書?)が、移転先を決めるものではありません」と。

大塚委員はきちんとした比較表をもとにして

議会が建て替えについて議論が出来ることを

副市長がしっかり発言してくれたことを評価したが、

問題は委員に配られた説明資料に

なにが書いてあるかがわからない(だって非公開じゃないの!)ので

土地取得の経緯とその間の市と財務省側のやり取りと

その結論に至るまでの整理がまったくつかめないことにある。

もしも国側が土地取得について

あくまでも新拠点ゾーンの計画のためにあるのだと

理解しているのならば

市役所の建て替えは別問題として

市議会が今後のことを決めることが出来るのだが

「本当にそれを信じていいのか?」という疑心暗鬼が

あの街づくり部の理事答弁に生じてくるのだ。

しかし一番大切なことは

市民レベルでこの問題にどこまで突っ込めるかだ。

建て替えは新拠点ゾーン整備と違って

「市庁舎は東京首都直下地震も予想され、早急に検討しなければなりません。」

と市長が挨拶でそう強調しているのだ。

議論も結論も「待ったなし!」、

本当に市民である「私たち」が議論が盛り上げなければいけないのだが

簡単なようで難しいんだよなぁ…。

(文中敬称略)

www.city.matsudo.chiba.jp

shiraike.hatenablog.com

 

 

 

福島第一原発事故で「東京電力の経営陣に対する審理再開を求める!」

先週の23日、沖縄慰霊の日だったが

職場指定の健康診断のために赤坂へ。

その前に福島東電刑事裁判訴訟団から

突然のメールを前日にもらっていたので

出発時間を早めて霞が関にある

東京高等裁判所(高裁)前へ。

一審で当時の東電経営陣に無罪が下り、

控訴審が行われてもさっさと審理を打ち切って

7月(来月)17日に判決を出すことを決めた高裁に

「ちょっと待った!」をかけることになったのだ。

それはこのブログで書いた一つにある。

shiraike.hatenablog.com

福島第一原発事故で国に責任を問えるかで

最高裁は「問えない」として無罪判決を下したが

4人の裁判官のうち三浦守氏だけが

「十分な対策を国と東京電力が行えば事故を回避できた。」と

反対意見を出した。

そこで訴訟団はこの意見書をもとに

証拠調べを(津波予見可能性や長期評価の信頼性など)

もう一度しっかりやって

審理の続行期日を延期してでも

納得のいく判決を出してほしいと、

上申書を提出することにしたのである。

10時45分からアピールを行い

短い区間だが全員参加で行進を行い(写真撮影も)、

11時過ぎに海渡雄一弁護士と武藤類子福島原発訴訟団長が

高裁に入って上申書を提出。

その後記者会見があったが、報道関係者のみということで

流れ解散となった。

あの最高裁不当判決は、

福島から避難した被災者たちは

みんな悔しい思いを強いられたが

「東電への責任を追及することに終わりはない」。

だからこの裁判をあきらめずに続けてほしいという思いは

高裁前に集う人以外にもたくさんある。

勝手な幕引きは許されないし

あの事故は「想定外の災害」だと結論を出すことは

絶対に許されないのだ。

nordot.app

www.tokyo-np.co.jp

shien-dan.org

JR蒲田から京急蒲田まで「徒歩で乗り換える」

(きのうのつづき)

川崎から京浜東北線で蒲田まで。

ここで下車して以前ブログで書いた

蒲蒲線」を待望する声とはどういうことかを知りたくて

京急蒲田駅まで徒歩で乗り継ぐことにした。

改札を出てコンコースに行くと

いきなり羽田空港行きのバス乗り場の案内看板を見た。

ほんとうならここからバスに乗ったほうが

空港へは便利なはずだが、信号や道路渋滞のため

時間が定まらないことがある。

だから京急の駅に走り込む人が多いのかもしれない。

ということで東口に降りて

商店街の大通りを南へ。

そしてこの案内版を見たところで右の

小さい道へと曲がる。

飲食店などが多くあるところを歩いて

(川崎のニュータンタンメンの店もあった。)

また大きな交差点へ。

この写真にある「えすと」と書いてあるアーケードに入ると

さらに繁華街の雰囲気が増してくるが

JR駅の周辺と比べて、のんびりした感じがある。

でも定食屋さんがあったりして庶民的な感じでもある。

そしてゴールの京急蒲田駅に。

普通に歩いて約10分だ。

確かに乗り換えは川崎や鶴見と違って

距離もあるし土地勘がない人には分かりづらい。

やはり連絡できる鉄道があれば

便利になることは間違いない。

果たして開業にメドがつくのはいつのことだろうか。

この駅から京急都営地下鉄・京成・北総を経て

帰宅についた。(この項おわり)

shiraike.hatenablog.com

shiraike.hatenablog.com

鶴見線から浜川崎経由で川崎駅まで(6月24日)

(きのうのつづき)

横浜市鶴見区

おきなわ物産センターへ行ったあとに

足を延ばしてゴム通りを南下して

JR鶴見線の浅野駅まで歩いた。

近くにある踏切から先はJFE東日本の施設へと

つながる道だった。

浅野駅から鶴見線は大川・扇町へ向かう線路と

海芝浦へつながる線路の2方向に別れるが

日中ということで海芝浦行の電車は1時間に1本のみ。

あとは扇町方向に行く。(といっても2本のみ)

朝夕の通勤時間帯でなければ頻繁に走らないのだ。

(海芝浦方面のホーム。)

この駅から浜川崎行きに乗り終点まで。

浜川崎から南武線の支線に乗り換える。

乗り換えるときはいったん鶴見線の駅舎を出て

外に出て南武線のほうの駅舎に入らなければならない。

無人駅(浅野もそうだが)なので

SUICAカードはその都度機械に「タッチ」しなければいけない。

あと乗車駅証明書を発行する機械も久しぶりに見た。

電車に乗ってすぐに八丁畷で降りる。

素通りしたことがあるが途中下車したことがないからだ。

ここでもホームを降りてすぐに「タッチ」する機械があり

これを押さないと運賃が余計に取られますよと書いてあった。

言われた通りにやって階段を降りると

もう京急線の改札があった。

これで納得。この駅は京急の管理になっていたのだ。

自動改札機を通過すると「0円」の表示になり問題なし。

近くのコンビニで神奈川新聞を買って

川崎駅まで歩く。

途中で松尾芭蕉の句碑を見かけた。

「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」

あの奥の細道のいちばん最終のところで

1694(元禄7)年5月11日、深川の芭蕉庵を発ち、

故郷の伊賀上野に向かう途中に

川崎宿に立ち寄って

この句を詠み弟子たちとの別れを惜しんだそうだ。

大阪で亡くなったのはその年の10月、51歳だった。

近くの日進町の町内会館にはこの記念の看板があった。

まさか川崎で芭蕉に出会うとは思わなかった。

これまで千住(足立区)と草加(松原団地)と杉戸(東武動物公園)で

見かけてきたのだが。

そして市電通りを駅方向に曲がって地下街から

川崎駅に入った。(つづく)

shiraike.hatenablog.com

www.city.soka.saitama.jp

「ちむどんどん」の横浜・鶴見のおきなわ物産センターへ

2022年、本当の沖縄に行けないのなら

NHKの朝ドラの舞台にもなった

横浜市鶴見区の沖縄タウンに行ってみようと思った。

6月24日の午前中にJR鶴見駅に降り立ち

日刊ゲンダイのGW特集号の記事を頼りに

京急鶴見駅を突っ切り

鶴見川方面を潮風大通りを歩き、

汐鶴橋を渡った。

そのあと、道路標識もなにも見つからず

きょろきょろと南の方向へ歩くと

「潮田神社入口」の交差点のところで

出没!アド街ック天国」で見た

「ちむどんどんの舞台横浜鶴見へようこそ」ののぼりを見つけた。

潮田銀座という通りへ曲がっていくと

「知花ビル」という建物があって

沖縄タウンに来たんだという実感が少し湧いたが

目的地がなかなか見つからない。

大きな交差点があったので右へ曲がって

左のほうの歩道を歩くとやっと見えてきた。

おきなわ物産センター(沖鶴マーケット)だ。

到着するとおなかがすいてきたので

入り口近くのそばと島雑貨の店「ていんがーら」に入る。

前金制で店員さんがバイトの男の子に

注文と会計の方法を教えながら

オーダーをとってくれた。

ソーキそば(中)とジューシー(沖縄の炊き込みご飯)で

併せて1000円(税込み)。

味は文句なし。沖縄そばの良いところは

ラーメンと日本そばとうどんのいいとこどりであることだ。

まさに沖縄が生んだ、

ちゃんぷるー(チャンプルー)文化の象徴と言えるだろう。

ソーキはスペアリブと同じ部位が使われる。

ラフテー(角煮)に使われる三枚肉(バラ)との取り合わせもいいが

やっぱりかぶりつくときの骨と肉との間にある

「うまみ」がやめられない。

また、この店のジューシーは少しだけ「おこげ」があった。

これがとても良い。一からの手作りでなければ出来ないことだ。

満足して物産センターへ。

いろいろと迷った結果、

ちむどんどんの限定泡盛(忠孝酒造・1000円・同)と

アド街ック天国で紹介していた

黒糖入りうずまきパンを家族分で4つ買った。

(1個170円)

このパンは沖縄から送ってもらうのは大変だからと

近くのパン屋さんでつくってもらっている

まさに鶴見の沖縄タウンの限定品である。

帰宅して食べてみたら、甘すぎないのがいい。

そこはかとなく黒糖の香りを感じさせた。

なによりクリームの乗り具合が丁度いい。

そしてセンターの奥を見ると

地元の県人会の広報室や紅型(びんがた)の展示や

「ちむどんどん」のコーナーや

ちょっとした休憩室もあった。

外ではお客さんが入れ替わり立ち代わり入って

いろいろとお土産物を買っていた。

ドラマの効果はやっぱりすごいということか。

中華街のようなきらびやかなところはないが

それが地元と沖縄を結び付けた歴史が

積み重なっているということかもしれない。

センターを出てゴム通りという大きな道路を南に行くと

東芝の関連施設など工場や研究施設、さらに

倉庫群が目立つ。

ここはもう京浜工業地帯なのである。

そしてここを目指して多くの沖縄人(ウチナンチュ)が

出稼ぎに行ったのである。

(センターに貼りだされていた琉球新報小学生新聞の紙面より沖縄まんが年表。)

dailyportalz.jp

沖縄慰霊の日(6月23日)と読書と

何度も書いているが

今年は沖縄に行くことをあきらめた。

そのかわりに沖縄関係の本を読んだり

映画を見たりグルメ(といっても沖縄そばカップ麺)や

お酒(といっても泡盛ハイボールなど)を味わったりして

いろいろと本土と沖縄の距離を考えたりした。

その読書の1冊目はこれ。

松戸で映画を見に行ったときに物販で買った

森口豁さんの「紙ハブと呼ばれた男~沖縄言論人 池宮城秀意の反骨~」

彩流社刊・2019年)。

戦前は「沖縄日報」戦後は「ウルマ新報」を経て

琉球新報」の記者を経て、ジャーナリストから

「平和のための百人委員会」を設立させて

沖縄から全国へと平和運動とを発展させた

「火付け役」として活躍したのが

池宮城秀意だ。しかし戦前の大本営発表の報道に

嫌気がさして県立図書館の職員になるも

突然の召集(徴用だったのが兵役)によって

沖縄戦不本意ながら巻き込まれて

まともな兵役ができず本島南部まで逃げ通した結果

捕虜となり、その時に撮影された横顔を森口さんが見て

「池宮城さんが捕虜のころじゃないのか!」と。

 

本土出身の森口さんが

ウルトラマン」の生みの親である

金城哲夫さんと家族同然のお付き合いだったのをきっかけに

復帰前の沖縄に記者として

ジャーナリストとして

のめり込むきっかけを与えてくれたのが

当時「琉球新報」の社長だった池宮城秀意だった。

 

しかし池宮城氏は経営悪化にともなう労使紛争が激化した責任をとって

1974年に社長を退いて、森口さんも琉球新報から

日本テレビの沖縄特派員に転じて「NNNドキュメント」で

多くのドキュメンタリーを本土に送り続けたために

直接の関係は途切れた。

 

しかし、本土復帰後に「いけみやぎ しゅうい」から

「いけみやぐすく しゅうい」に読みを改めて

日本に返ってきても

天皇制と同化して、米軍基地をそのままにして

 再び戦火に琉球(ウチナ―)が巻き込まれて

 集団自決をしたくない。」という信念を貫いたことから

反基地・平和で「沖縄のことは沖縄が決める」の、

オール沖縄大田昌秀翁長雄志玉城デニー)」へ繋がる道筋を

池宮城氏がつくり、

それを森口さんがしっかりと見届けた。

「紙ハブ」とはアメリカにも日本政府にも屈せずに

逆に恐れられる立場にまでになったという

沖縄にとっての大きな象徴だったのである。

もうひとりの「カメジロー(瀬長亀次郎)」なのである。

 

shiraike.hatenablog.com

www.tokyo-np.co.jp

2冊目は

すでに予選が始まっている高校野球にちなんで、

沖縄代表の常連校になった沖縄水産高校や

豊見城高校などで監督を務めた

裁弘義(さい ひろよし)を追いかけた

「沖縄を変えた男ー裁弘義 高校野球に捧げた生涯ー」

(松永多佳倫著・集英社文庫・2016年)だ。

高校野球といえば名物監督がつきものであるようだが

裁弘義は沖縄戦の時まだ幼児で母親におぶわれて

逃げた時に背中に焼夷弾によるやけどを負い

周囲は火を消したため命は助かったが

その痕を背負いながら65年の人生をすべて

「野球だらけ」の日々を貫いた。

少年時代に米軍基地で見た風景から

野球は日本ではなくMLB(大リーグ)に学ぶのが一番だと知り

科学的なトレーニングを取り入れ(器具はすべて手作り!)

投げ打ち勝つだけでなく走塁やエンドランを生かした

「機動力野球」もいち早く導入させて

小禄豊見城の両校を甲子園に導き、

その後荒れたままの広いグラウンドをひとりで整備することから

沖縄水産を夏の大会準優勝に導くまでに

荒くれた生徒に鉄拳制裁で抑え込んで、

その一方で寮生活を整備して野球部をまとめ上げ

甲子園出場への道筋を再びつくった。

また補欠の部員たちの就職の世話まで行うこともあった。

「どうせ本土に勝てない」という負け犬根性を

沖縄からなくし、

それが沖縄尚学の選抜優勝(1999年・私も甲子園でナマで見た。)

そして興南春夏連覇(2010年)につながった。

ちなみに裁監督の沖縄水産も1988年の京都国体で

優勝した(甲子園を含めて県勢初優勝)ことをこの本で知った。

また、あの大野倫(元巨人・ダイエー)の

「監督を殺してやりたかった」発言は

別に自分が言ったのではなく

当時は甲子園で優勝するという期待のなかで

周囲の期待や思惑がこんがらがって

「肘が壊れた大野をなんで裁監督は投げさせるんだ?」

という疑問から出てきた「たぶんそう本人が思ってるんだろう」と

いうことだった。

むしろここで投げさせなかったら

みんな揃って悔いが残ったかもしれないということだった。

ことしもまた、新たなドラマが始まるかもしれない。

(なお解説文は、映画版で裁監督を演じたガレッジセールのゴリさんが書いている。)

eiga.com

はっきりいって「二郎」ふうの担々麵!(松戸)

値上げラッシュで

コロナ禍以上に飲食店も大変だろうと思うが

新京成線のラーメンスタンプラリーにも参加している

松戸駅西口の「本格四川担々麵 どういうわけで、」で

期間限定のメニューを22日(有給休暇の日)に食べた。

「〇郎風 インスパイア系スペシャル担々麵」(税込み1280円)なのだ。

(ごまを自分ですって待つのがこの店の定番。無料で大盛りに。)

うまくやったもんだなと思った。

バスロータリーを挟んだダイエー(イオンスタイル)松戸店の近くに

「二郎」の松戸西口店が本当にある。

いつも行列が絶えない。

だがここは本物の「ジロリアン」が集う店なので

「一見さん」やカップル風には入りづらいという短所がある。

そこで駅前のロケーションと味の良さを生かして

インスパイアを考え付いたということか。

実際に食べてみるとモヤシや野菜たっぷりだし

背脂はないがスープは適度にこってりだし

辛さやシビレは自由自在にえらべるし

ニンニクも頼めば「少なめ」もイケる。

そして麺の太さものどごしも

二郎に100%とはいかないが

それに近い満足感も得られる。

30日でおしまいになるのは残念だが

暑い夏向けのメニューも考えているかもしれない。

なお平日は

大盛り・ミニご飯・手作り杏仁豆腐のいずれかを

無料でサービスしてくれるのも嬉しい。

これからも期待できそうだ。

niwatchlife.com